そこでしか話せない

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「どういたしまして」  フォークにスパゲッティを絡ませる。  口へ入れ、味わう。  クロは子どものようにフォークを握りしめ、フォークを回転させて持ち上げた。  スパゲッティが下へと落ちる。  クロの表情が曇る。 「欲張るからだ」  葛西は二口目を含む。  クロは唇を突き出し、仏頂面で再度挑戦する。  ユイトは口を出さず、ナポリタンを作っている。 「難しいですね」  苦笑いするクロ。 「人って器用ですよね、色々」  とぐろを描けないスパゲッティを持てあましながら目を伏せる。 「手先だけじゃなく、状況に合わせて心を変化させることができる。やさしかったり、怖かったり……」  ユイトの作業音だけが鼓膜を震わせる。 「いっしょくたにするな。器用な奴ばかりじゃない」  クロはハッとし、葛西に謝罪した。  葛西は青ざめるクロの手からフォークを奪い、適度にスパゲッティを巻きつけた。 「ほら、口あけろ」  素直に開いたそこへフォークを差し込む。  口を閉じたのを確認し、フォークを抜いた。  クロが咀嚼する。 「うまい?」  クロはナポリタンを嚥下し、頬を染めた。 「はい。すごく」 「それはよかった」  葛西は口角をあげ、フォークをクロへと返す。 「美味しければそれでいい。無理に人のマネをする必要なんてない」  クロはフォークを両手で包み、俯いた。 「でも、今は人です。この時間はオレに与えられた奇跡なんです。だから、ちゃんと終らせたいんです」  一方的な完結。  そんなフレーズが脳裏を過ぎった。  なぜだか、クロとは今日が最初で最後なのだと、葛西にはわかった。  クロにフォークの持ち方を見せてやる。 「グーで握るとうまくできないぞ」  クロは瞳を輝かせ、葛西に習おうと試みた。  何度も何度もフォークからほどけるスパゲッティを見つめていると、次第に眠気で瞼が下がっていく。  閉じかけた視野の中、クロがスパゲッティと格闘していた。  ただ純粋に物事と向き合うクロは眩しかった。  葛西は歳を重ねるごとにそういう姿勢を忘れようと努めたから、余計に。  
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