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「時間は止まらない。それは自明であるとともに不変の否定である」
アキラの心の中で、愛読している本の一文が駆け巡る。最初は何が起こっているのか分からなかった。空の色は黒く変わり、窓がいくつも割れている。どこからか隕石が云々と聞こえてくるが、正確には聞き取れなかった。彼はどうにか移動しようと試みる。しかし足はもう動かない。片方の目は見えず、視界が制限されていた。全身の痛みに耐えながら腕の力を使って転がるように廊下へと出る。
そこはもはや別世界だった。先程まで綺麗な姿をしていた壁や床はヒビと穴にまみれ、ビル全体が傾いているようだ。倒壊するのも時間の問題だろう。最期の瞬間というものを彼は初めて意識した。そしてその迎え方をどうするか。彼にとってそれは考えるまでもなかった。その実現のためにただひたすら体を動かす。階段を転がり落ちるように移動する。何度も体を打ち付けながら。そうして彼は1階へとたどり着いた。傷口は8階に居た時より大きくなり、痛みは加速する一方だった。霞む視界の中で、彼は瓦礫に埋もれる受付嬢の姿を見つける。どんどん重くなる体を無理矢理ひきずって彼女のもとへ近づく。
間近で見ると彼女の姿はひどいものだった。落下してきた瓦礫を全身に受けたのだろう。両足は膝より下が無く、腕は2つとも肩から先が潰れている。首は横に90度曲がってしまっている。しかし彼女は生きていた。むき出しになった数多のコード。それらが繋がった基板。そこから送られる信号が正常に機能している事をアキラは理解できた。安心感から大きく息を吐く。
「よかった……間に合った……」
彼はそう呟くと、彼女を抱き寄せる。彼女は決められた言葉をただ意味もなく繰り返すだけだった。
「……ずっとこうしたかった……大好きだよ……」
静かに、それでいて力強く抱きしめた。受付嬢として作られた機械を。しかし心臓の拍動が弱まるのに比例して、その力は徐々に失われていく。耳に届く鼓動はさらに弱まり、ついにその活動を止めた。抱きしめた温もりだけがただそこに残っていた。
「おはよう……ござい……ます……少々……お待ち……くだ……アキ……ラ……ありがと……」
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