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 調理の合唱が止む。ややあって、カチャッと耳覚えのある音が静寂を破った。炊飯器のご開帳だ。いよいよ、麻婆茄子定食が眼前に並んだ。 「お待たせしました」  ふっくらと小山を作って盛られた純白のご飯。湯気の立つ挽肉たっぷり麻婆茄子。控えめに添えられた卵スープに、漬け物ではなくザーサイというのも少し嬉しい。  いざ。と、肺を広げて鼻腔一杯に甘美な香りを吸い込んだそのタイミングで、空いた皿を下げる女将と目が合ってしまう。なんとも恥ずかしいところを見られたと、慌てて麻婆定食に向き直る。まず口をつけた卵スープは、ほっと優しい味がした。  麻婆茄子は旨かった。決して過剰な美味ではない。が、「街角の小汚い中華屋に望まれる味」に的確に応えた素朴な旨み。やや甘めの味付けと塊の残った挽肉の歯ごたえが白米によく合う。  しばらく、夢中で頬張った。舌が少し口直しをさせろとせっつけば、割り箸の先をザーサイに向ける。  そんな至福の時間を、乱暴な扉の音が掻き乱す。ぬっと突き出した黒光りするヤマアラシのような頭髪。シャツの胸元から覗く入れ墨に気づくまでもなく、サングラスの下から覗く眼光だけで、この男がその手の筋のモノだというのは察しがついた。  男が厳つい体躯を押し込めると、途端に店内が一回りも二回りも狭くなった気がした。呆然と立ち尽くして迎えた女将は、慌てて水を用意する。男は奥の厨房に一番近い席に陣取ると、メニューも見ずに唸った。 「カレー」  そんなものメニューにはない。裏メニューという訳でもないことは、ぽかんと口を開けた女将の様子からも見て取れた。 「カレーライスっつってんだろうが!」  男の手が机を叩く。女将はビクッと体を震わせたが、上げた顔には怒り混じりの強い意志が宿っていた。 「かしこまりました」  俺はこの店が繁盛していない理由を悟った。安くて旨い。店主は美人。だが、暴力団関係者、つまりヤクザの御用達となると、足が遠のくのも仕方ないだろう。そうでなくても、怒鳴り声というのは飯を不味くする。俺は逃げ出した食欲を求め、箸を皿の上に漂わせた。  男は壁に背を預けて横向きに座り、机に肘を投げ出して踏ん反り返っていた。男が息を呑むたび、派手に突き出た喉仏が別の生き物のようにぬるりと動く。  ふいに、男がこちらを振り返った。
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