泥舟の会

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結局、何も言わず受け入れた。年上として大人の対応をしたかったし、そう見られたかった。別れ際で汚く粘って晩節を汚す、往生際の悪い人間に思われたくなかった。 いや、実際はそういう人間なのだけど、私の「こう見られたい願望」が、飾りのない本心を上回った。私は、一ヶ月前に想像した「死ぬ瞬間」にあっても、自分を守るプライドを剥ぎ取れない人間だった。犠牲にしてもいいと思った理性は、捨てられかけた恨みを晴らすように私に染み付いていた。 早鐘を打つ心臓を押さえながら、「わかった。ありがとう」という内容を何倍にも膨らませてだらだらと書き、送信し、呆然と映画館へ向かった。 夢遊病者のようにチケットを買い、ポップコーンを買い、席に座った。 映画館は満員だった。 見た映画は「この世界の片隅に」という、第二次戦争時代の広島・呉を舞台にしたアニメ映画だ。とても評判がよく、ずっと楽しみにしていたのだが、感情はついてきていなかった。 目と頭では幕を追っていても、頭の片隅では気を抜くと彼との思い出の同時上映が始まってしまう。 その映画の途中にラブシーンがあった。 「淡い恋心を抱きながら結ばれなかった同級生が、久々に帰ってきたら女の子が結婚していた」というシーンだ。 このシーンで、私は号泣してしまった。シリアスだが、泣くシーンではない。隣の席の人にちらちらと様子を伺われながら、私は手のひらに爪を食い込ませてぼろぼろと嗚咽した。 だって、付き合って一ヶ月だ。 お試しパックみたいなものである。 本当だったら一番美味しいところを味あわせて、これありきの生活に慣れさせて、さあいざ楽しい本会員生活を! というところで、クーリングオフされてしまったわけである。 映画の女の子の切なさに同情し、しかし私が泣いた理由は、「こんな美しい恋愛の舞台に立てない自分の惨めさ」にあると思い当たり、悔しくてまた泣いた。
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