水に描いた肖像画

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 いつもは淡々としている祐介だけれど、その絵を描いていたときはやっぱり、深く世界に入り込んでいるように見えた。時間も空間もめいっぱいつぎ込んで描き上げたあの作品は、祐介に今できる最大限だったと言ってもいいだろう。彼は結果を気にするタイプではないけれど、それでも入賞の二文字を見たときは、さすがに表情がほころんでいるようだった。それでいまはコンクールも終わって暇だし、たまには水彩画でも描くかというところ、というわけだ。  あれだけエネルギーを費やした後だから、またすぐ同じように描こうと言うのも無理な話で、しばらくは次の作品に向けての充電がてら、軽くスケッチをしたり、デッサンの練習をしてみたりして過ごす。そんな風に目先を変えたやり方で絵の楽しみを思い出すというのは、気分転換にもいいし、結果的には、実力の向上にもつながる。実際に今日は、いつも美術室にこもりきりの部員達もみんな、風景や運動部の様子なんかをスケッチしに外へ出ていて、だからいま二人しか美術室内にいないのだった。祐介の場合はそれが、水彩画だということ。  いつもと違うものを描きたくなった時に、水彩を選ぶ気持ちはよくわかった。私も似たようなものだからだ。水彩画は楽しい。白い紙を少しずつ少しずつ色で埋めていくときの、ひそやかな喜び。重ねても重ねても残る透明感の、はっとするようなやさしさ。そういうのがいい。  私は、たとえば祐介みたいに、紙の上に違う世界を見ることはない。ただただひたすら、紙が色で埋め尽くされるのを待つだけ。それが気づけばいつの間に、新しい世界になっている。私が世界を描くのでなく、世界の方から、やって来る。絵を始めた時から、そうだった。誰に教えられたわけでもないけれど、そう言う描き方をするようになっていた。  その描き方がいいのかどうかは、わからなかったけど、少なくとも自分では嫌いじゃなかった。他の人の意見はどうあれ、たぶん私は今後もずっと、こういう描き方をしていくんだろう。なんて、ぼんやり思い始めている。
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