水に描いた肖像画

4/7
前へ
/7ページ
次へ
 もちろん、最初からそんな風に思えた訳ではなかった。こんな描き方でいいのだろうか、と悩みもしたし、祐介や牧野先輩や他の人達みたいに、伝えたくてたまらない自分の世界を持っていたり、筆と絵の具が追いつかないくらいに頭の中に広がる世界がくっきりと鮮明だったり、自分の世界にいつまでも入り込んでいられたりする人が、羨ましくて仕方なかった。  私にはない。描きたくってたまらない思いはあれど、どんな世界も見えなかった。私にはただただ、色があるだけだった。こんなのは、絵じゃない。私には才能がない。本当は絵を描くのなんて、得意でも好きでもないのかもしれない。私にはたぶん、絵を描く資格がない。そんな風に思っていた。描き方を変えるべきなのかもしれない。もしそれができないのであれば、そろそろ、筆を置くべき時が近づいているということなんだろうと。  そんな風に行き先が見えなくて落ち込んでいた時、私の絵を褒めてくれたのが、他でもないこの祐介だった。私の心の中とはまるで正反対に夕暮が美しかったあの日、あの水みたいな声で、祐介は、言ったのだ。 「彩深の描く色は、そこにしかない音楽を聴いてるみたいな気になる。忘れたくない色だと思う。だから俺はけっこう好き」  なんでもない言葉だったのかも知れなかった。それはいつもならすぐに空気に溶けてわからなくなるような、お互いに顔も見ないでつぶやきあったうちの、ほんの一言にすぎない。祐介はそんな風に言ったことなんて、たぶん覚えていないだろうし、私が後々まで覚えているなんて、思ってもみなかっただろう。それでも、私にとってその言葉は、地中に染み込み、雨を降らし、虹を光らせる、かけがえのない言葉になった。  それは、簡単に言えば、「自信をくれた」とか、「認めてもらえた」とか、そういうことなのかもしれない。けれど、それだけじゃなくてもっとなにか別の、これから先の人生までずっとずっと照らしてくれるような、そんな言葉であるような気がそのときはしたのだった。
/7ページ

最初のコメントを投稿しよう!

3人が本棚に入れています
本棚に追加