水に描いた肖像画

7/7
前へ
/7ページ
次へ
 どうして、と聞けばいいのか、それとも、喜んで、と言えばいいのか、迷ったので、いっそ何も言わずにおいてやろうと、とりあえず筆だけ置いた。どうせ祐介は私の考えることなんて、どちらもお見通しなんだろう。薄く笑って、もう私の方など見ずに、絵の具を溶いたりしている。その笑顔は憎らしいようでいて、やっぱり水みたいなのだった。どこまでも透明で、私の心に染み込む。  そんな祐介を見ていたら、もう今日は絵なんて描ける気がしなくなった。色と戯れ、のめり込むなんてとてもじゃないけど無理だ。こんなんじゃ、新しい世界なんてやって来てくれやしない。それどころか、今の私の心の中を見たら、世界の方からさっさと逃げていってしまうだろう。だってもうどうしようもないくらい、すっかり祐介の色で、埋め尽くされているのだから。これ以上、どうしろと言うのだ。しょうがないから今日はおとなしく、祐介の絵の世界の住人になろうと思う。  すっすっすっと紙の上を走る、筆の音。ぱちゃっと跳ねる、水の音。少しの身じろぎでも、空気が揺れるのがわかるほど、ひっそりとしたこの美術室に、二人きりの私達。空気も、音も、匂いも、何もかもが、他の全ての場所とは違う、ひんやりとした心地よい清らかさに包まれているはずなのに、なぜだかいまは、ゆっくりあたたかいような気がした。  もしかして私いま、じっと見つめられていたりするんだろうか。牧野先輩が、あの人を見つめている時みたいな、そんな感じになっていたりするんだろうか。顔あかいよ、と祐介がささやく声が聞こえたけれど、それが誰のせいだと思っているのかは、聞かないことにしておいた。
/7ページ

最初のコメントを投稿しよう!

3人が本棚に入れています
本棚に追加