渡り風の犬、ジロー

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 雪を巻き上げながら、ぼくは野山を駆けた。ブナの林を抜けて、杉の並木を抜けて。見送ってくれるのは、ラインハルトさんとハルさんだけかと思ったけれど、ワオーンワオーンと、次々と遠くからみんなの声がした。もうすぐ縄張りを抜ける、その明け方が近づいたとき、ぼくもひとつワオーンと応えるように遠吠えをした。渡り風のジロー。ねえ、祐一君。ぼくはきっと新しい、名前を仲間からもらったんだ。  寒い木枯らしの中を、ぼくは進んだ。冬の嵐の日もあれば、冷たい雨が降る日もあった。静かに雪の舞う日もあった。ぼくは山を抜け、都会になっていく街並みを抜けて旅をした。ぼくの帰巣本能というものが、こっちだ、こっちだと強く語りかけてくる。遠くから吹く風に、ぼくの記憶の底にある故郷のにおいが混じるようになっていた。一歩進むたびに、心臓の鼓動が高まるのがわかり、足取りは自然と軽くなった。もうすぐ会えるよ。祐一君。ぼくは、長い旅の末にちゃんと戻ってきたんだ。名犬だって呼ばれたって不思議じゃない。たくさん褒めてもらえるに違いない。  そうしてやっと、桜の花が咲くころに、遠い記憶と一致する街にたどり着いた。桜の並木道は五分咲きで、まるで桜の花が花開く音が聞こえるようだった。つられるようにぼくの気持ちは高ぶって、四足で跳ねるように歩き、尻尾もおのずと左右に動く。あんまり好きではないけれど、身だしなみに毛並みもきれいに整えた。祐一君に会う準備は万全だ。  そうして思い出深い道をたどり、ぼくは祐一君の家にたどり着いた。ぼくは家の玄関の脇で、祐一君が現れるのを待つことにした。  尻尾を一振り、二振り。楽しみでたまらない。いくつもの山を越えて目の前まで来たのに、早く会えるのが待ち遠しい。祐一君、早く! ぼくは今にも飛び上がりそうだった。 「ママ、大きな犬がいるよ」 「まあ、ほんと。どこの犬かしら」  聞きなれない声がして振り向けば、祐一君より年上の女の子と、そのお母さんと思しき女性がいた。怪訝そうな顔でぼくを見ている。何かおかしい。そう思った瞬間に、ぼくの尻尾は途端に元気を失った。 「ここは、犬さんのうちじゃないよ」
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