渡り風の犬、ジロー

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 一夜一夜、南へ歩くに従って、春の暖かな空気にほだされ、桜の花が一つ、また一つと咲き始めた。ぼくの足取りは軽くなり、まるでずっとこんなふうに歩いてきたかのようだった。二十と三、その山を越えた向こうにあった先は、あの懐かしい街であった。それは春先の、街中に満開の桜が溢れる頃であった。  青い桜の香りを感じながら、ぼくは三度目の街を歩いた。川沿いの並木値は、もうずっと遠い昔に祐一君と歩いた道であった。思い出をたどるように何日も、古いなじみの街をめぐって、そうしてやっと、ここには祐一君の匂いが存在することに気が付いた。祐一君も、きっとこの街に戻ってきたのだろう。  老いたぼくに、君は気づいてくれるだろうか。ぼくはきみの匂いがいっとう残る、桜並木の下で、きみが現れるのを待つことにした。晴れた日の、うららかな春の午後である。それは人の暦で、にちようび、と呼ばれる休日のことであった。  太陽から、優しい金の雫が散っていた。その光の向こうにかすみながら、懐かしいにおいを連れて、大きな影が現れる。金の光は逆光である。  昔とは、背丈も全然変わってしまっていて、すらりと伸びた長い手足に、センスの良い服。昔のきみとはまるで似ても似つかないけれど、首筋の三つ並びのほくろと、変わらないにおいはまさしく祐一君のものだった。祐一君は、もう立派な大人に、青年に成長していた。その祐一君が桜並木を歩いている。リードの先に、一頭のゴールデンレトリバーを連れて。  祐一君は、楽しそうに笑うと、そのゴールデンレトリバーのことを「ジロー」と呼んだ。ジローと呼ばれた犬は、嬉しそうに尻尾を振ると、くるくると祐一君の周りを回り、においをつけた。その焼き付くような金の雫の振る一幕を見ながら、ぼくはそっと、昔祐一君と一緒によく散歩をした、この並木道をあとにしたのだった。
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