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宵闇が来た。
天宙には銀色の月が座していて、零れ落ちた銀の雫はこの街を見渡すことのできる、大桜の満開の花びらに落ち、吹き散らされた花びらは見晴るかす彼方まで広がりゆくかのよう。
ぼくはその銀の雫をたたえた花びらの行く先を、ただひたすらに見つめていた。
二十と三の山々を一気に越えることは、もう年老いて死にぞこないだったぼくの身体には難題すぎた。ぼくの身体は鉛のように重く軋みを上げて、もはやミイヤさんに教わった、得意の木登りを披露することもできない。
ひらひらと、桜の花びらが散っている。
ぼくはここにきてようやっと、祐一君を一目認めることができた。祐一君は大人になって、そして連れていた若い、きれいな犬のことを『ジロー』と呼んだ。それはつまり、ぼくが祐一君と離れてから、祐一君がずっとぼくのことを覚えておいてくれたという証明だった。
ぼくはさみしいのか。ぼくは悲しいのか。ぼくは泣きたいのか。
ううん。そんなことはないと心から言える。
きっとぼくには幼かったあのときから、大人になる今までの間、きみのこころの中にぼくがいたという、きっとそれだけで十分なのだ。
だから、会わない。こんなぼくの姿を見たら、きっときみは泣いてしまうだろうから。きみはきみの人生の中で、もっと幸せになれるはずなのだ。
もしもぼくがきみにただ一つだけ、祈ることがあるとするならば、次に飼う犬に、『ジロー』と名をつけるのはよしておくれ。そんなカルマを続けるよりももっと、きみだけがつけることのできる、夢を体現したすてきな名前が、きっとあるはずなのだから。
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