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◇ side.Michael ◇
大型客船クイーン・オブ・ザ・シーズ。客室のドアが並ぶ通路を通りかかると、見覚えのある赤茶色の髪が見えた。肩に触れる緩くウェーブがかった特徴的なそれを、マイケルが見間違えるはずがない。
巡回中の事である。船内を見て回るのも大事な仕事のひとつだが、出歩けばその分誰かとの遭遇率が高い。客と話さなければならないのが少々面倒だった。どうしてかここ数日調子が出ない。
クリス。と、そう声を掛けようとした瞬間、クリストファーの姿が壁に吸い込まれた。否、部屋の中に入ったのだろう。それまでクリストファーが立っていた辺りまで歩を進めると、どの部屋に入ったのか予測できた。
――キャプテン…?
フレデリック。この船のキャプテンが宿泊している客室のすぐ近くだった。今回のクルーズではフレデリックが休暇中のためマイケルがキャプテンを務めているが、正規のキャプテンはフレデリックである。マイケルは、チーフオフィサーという、所謂ナンバーツーだ。
以前クルーの間で流れていた噂がマイケルの脳裏を過ぎる。それは、昔フレデリックとクリストファーが恋人同士だったという噂だ。本当のところは、誰も知らない。
確かにクリストファーとフレデリックは仲が良い。フレデリックが客としてこの船に乗船するのは二度目の事だが、前回もクリストファーはフレデリックの部屋へ足しげく通っていたと記憶している。
だが、フレデリックは確か辰巳という恋人と乗船している筈である。前回もそうだった。
何故? とそう考えて、マイケルは嫌な想像をした。クリストファーの自由奔放な遊び癖。まさか三人で…などと妙な事を想像して小さく頭を振った。
有り得ない。フレデリックの辰巳への入れ込みようが半端じゃない事は、この船のクルー全員が知っている。恋人をシェアする事など考えられない。
いったい自分は何を考えているのかと自嘲を漏らして、マイケルがその場を立ち去ろうとしたその時だった。すぐ横のドアが開いてグレーの瞳と視線がぶつかる。
「マイク?」
「ッ…クリス…」
名前を呼び合って、それから黙り込む。とても気まずい。別に自分がここに居ても何ら不思議ではないのだが、わざわざ見に来たという事実があるだけにどうにも居心地が悪かった。
普段であれば普通に会話をするところだが、黙り込んでしまったマイケルをクリストファーが怪訝な面持ちで見ていた。何かを話さなければ…とマイケルが考えていれば、クリストファーに顔を覗き込まれる。
「どうしたんだお前。顔が赤いようだが…熱でもあるのか?」
「何でも…ないんだ」
「はん? まあいいや。仕事頑張れよ」
そう言い残して、クリストファーはあっさりとその場から立ち去った。またしても廊下にひとり立ち尽くす羽目になってしまって、マイケルは溜め息を吐く。本当に、自分は何をしているのか。このところ調子が悪い。
今回のクルーズは、会社の創設記念にちなんだ特別なものである。しかも、自分はキャプテンなのだ。余計な事を考えている場合ではない。いくら本物のキャプテンが客として乗船しているといっても、二度も頼る訳にはいかなかった。
前回のクルーズでマイケルは、急な体調不良を起こして数日フレデリックに仕事を変わってもらっていた。恋人との時間を邪魔してしまって申し訳なかったと、そう思う。
フレデリックがキャプテンという仕事を誇りに思っている事、このクイーン・オブ・ザ・シーズを我が家のように愛している事は知っている。だが、それとこれとは話が別だ。二度目はない。
航海士であるからには、マイケルの最終的な目標はやはりキャプテンである。もちろん正規の。
このクルーズが終わって、数ヵ月もしないうちにフレデリックはこの船のキャプテンを退くと聞いていた。それは、会社から正式に出た通達である。今回のクルーズは、マイケルにとっては謂わば試験のようなものだ。
フレデリックのあとを、自分が継げるかどうか。
マイケルにとって、フレデリックは頼もしい兄のような存在だった。たまに立ち入り禁止の時間帯にデッキに入りたいなどという我儘を言うが、それを許してしまえる程に、フレデリックへのクルーの信頼は厚い。
同じように、クルーに信頼されるキャプテンになるのがマイケルの最終目標だった。再び、マイケルのすぐ横のドアが開いた。姿を現したのは辰巳である。
『あぁん?』
「ッ!!」
日本語の発音で発せられたその言葉の語気に、マイケルは思わず後退る。挨拶をすればいいだけだと分かっているのに、どうにも調子が出ない。マイケルは、引き攣った笑顔を張り付ける事しか出来なかった。急に、現れないで欲しい。
フレデリックの恋人。辰巳はジャパニーズマフィアだと、マイケルは聞いた事がある。日本では確かヤクザと言った筈だが、この男はフレデリックのように躰も大きいうえに、どうにも語気が荒くてあまり得意じゃない。
「失礼しました」
『どうしたんだい辰巳? 何をそんなに威嚇して…あれ? マイクじゃないか」
後ろから現れたフレデリックが、後半だけ英語で喋る。前半を日本語で話していただけに、器用な男だと、そう思う。
隣に立つフレデリックに指し示すように、辰巳の親指がマイケルに向けられた。
『いや、廊下に出たらこいつが立ってやがったんだ。別に威嚇してねぇしよ』
「ふぅん? どうしたんだい? マイク。僕の部屋のまえにいるなんて、何か相談でもあるのかな?」
日本語で話す辰巳の言葉に、柔らかな英語で問い掛けてくるフレデリックの口調はいつものそれで、マイケルは思わず安心する。フレデリックの物腰の柔らかさは、どうやったら身につくのだろうか。自分には到底真似ができないと思うマイケルだ。柔らかいのに、それでいて安心感がある。
「いや、そういう訳ではないんだ。たまたま通りかかったというか…まあ、そんなもので」
「うん? ならいいけれど。てっきり僕のポストの事で悩んでいるのかと思ったよ」
フレデリックは、鋭い。確かにマイケルは悩んでもいるし、不安もそれなりにある。それを見抜かれているようで、困ったように笑った。一度、フレデリックに相談してみてもいいかもしれないと、マイケルはそう思う。このクルーズが終わっても、フレデリックはすぐに居なくなってしまう訳ではなかった。
「まあ、悩みがないと言えば嘘になるが…」
今度話を聞いてくれと、マイケルがそう続ける前に、ふむ…、と小さく頷いたフレデリックが、隣の恋人を見る。
『辰巳。食事はルームサービスに変更…でもいいかな?』
そう言ってフレデリックは微笑みながら恋人に小首を傾げてみせた。
『ああ? まあ、構わねぇよ』
『ありがとう。キミはやっぱり優しいね』
『はぁん? お前だろそりゃ』
目の前で繰り広げられるフレデリックと恋人の遣り取りに、マイケルは思わず絶句した。日本語を話す事は苦手だが、意味は理解できる。その上そのままキスでもしそうな雰囲気だったが、辰巳はさっさと部屋の中に戻ってしまった。
向き直ったフレデリックが柔らかに微笑む。
「少し部屋の中で話をしないかい? 僕たちの相手をするのも、キミの仕事だろう? キャプテン」
トンッとマイケルの胸を軽く指で突きながらフレデリックが笑う。確かにフレデリックの言う通りではある。上客の相手をするのも、キャプテンの仕事に含まれる。それはまさに、マイケルにとっての苦手分野だ。
さあどうぞ…と、通路を開けられて、マイケルは部屋の中に入らざるを得なかった。
フレデリックと恋人が宿泊している船室は、この船の中でも一番グレードが高い。その部屋の広さはホテルのスイートルームなどに匹敵する。
「マイク、適当に掛けていてくれるかい? 先に、食事をオーダーしてしまいたい」
「あ、ああ。食事の前に邪魔をして済まない」
「なに、気にする事はないよ。キミに僕がしてあげられる事は、これくらいしかないからね」
そう言って微笑んだフレデリックが食事を注文する間、マイケルは目の前に座る辰巳を見た。ソファに座り脚を高く組んで煙草を吸うその姿は、それだけで迫力がある。日本人離れした体躯は、フレデリックには及ばないが、マイケルよりも幾分か大きい。乗船の時に少しだけ会話を交わしたが、なんというか、泰然自若という言葉がしっくりくるような男である。
マイケルは前回のクルーズの時もフレデリックと辰巳が並んで歩いている姿を何度か見かけていたが、どこにいてもこの二人は目立っていた。それは、躰が大きいという理由だけの事ではなかったが。この恋人たちは、とても仲が良い。
やがて注文を済ませたフレデリックが、トレーに三つのカップを乗せてきた。それぞれの前に差し出して、辰巳のすぐ隣に腰を下ろす。身を寄せ合うようにして座る二人に、思わず笑ってしまった。
「それで、キミは何を不安になっているんだい? マイク」
「お前のように…クルーに信頼されているのか、俺には分からない」
「なんだ、そんな事で悩んでたのかい? 大丈夫。心配しなくても家族たちはみんな、キミが大好きだよ。僕なんかよりよっぽど頼りにされているじゃないか」
頼りにされている。と、そう言われても、自覚がないのだから仕方がない。フレデリックに礼を言ってマイケルは微笑んだ。否定したところで困らせるだけだろうとわかっている。
「僕はてっきり、接客で悩んでいるものだと思ってたんだけどなぁ…」
朗らかに笑うフレデリックに、図星をさされてマイケルは言葉を失くした。マイケルは、どちらかというと表情が硬い。フレデリックのように、柔らかく微笑むことなど到底出来そうにないと、そう思うのだ。
「キャプテンは何でもお見通しって訳だな」
「ああ…やっぱり、そっちも気になってはいるんだね?」
「俺はお前のように器用じゃないからな」
「でも、キミは…キミが思う程不器用じゃないから大丈夫だよ。マイク」
それでも、フレデリックを見ているとどうしても比べて自信を無くしてしまうのである。フレデリックの仕事ぶりが、優秀すぎて。敵わないと、そう思う。同じ事を同じ様にこなす自信がない。
マイケルが困ったような顔をしていれば、意外なところから声が飛んできた。
「フレッドの真似をする必要はねぇだろう。アンタはアンタのやり方でやればいい」
唐突に英語で告げられた言葉は、まるでマイケルの心の中を見透かしたかのようだった。フレデリックの恋人が発したものだ。そのぶっきらぼうな物言いが、どこか優しい。
マイケルがまじまじと見つめていると、辰巳はガシガシと頭を掻きながら言った。
「フレッドといるとよ、自信失くすのはわかんだよ。こいつは、何でも上手くやっちまうからな。だが、アンタが同じようにする必要は、ねぇんじゃねぇのか? アンタとこいつは、別の人間だろう」
「そうだねぇ、辰巳の言う通りなんじゃないかな。僕にはないものを、キミはたくさん持っているよ? マイク」
まあ、たまに顔に出るけどね。と、そう言ってフレデリックは笑った。
別の人間と、そう言われた言葉に心の中で何かが吹っ切れる。モヤモヤと燻っていたものが、さっとどこかに行ってしまったような。悩む方向自体が間違っていたと、そう教えられた気がした。目的地を見失っていた自分に気付く。
向かうべき場所が間違っていれば、迷うのは当然である。
「ああ、そうか。そうだな。俺がどうかしていたようだ。俺は、お前の真似をしたい訳じゃない」
「ふふっ、マイクはそうでなくちゃね」
「悪かったな、手間をかけた。辰巳、ありがとう」
礼を言うと、軽く手をあげるだけの返事をして、辰巳はちらりとこちらを見た。その視線は、どこか呆れたような色をしている。何か、呆れられるような事をしただろうかと考えたが、確かに、食事の邪魔をしてしまったようなので申し開きせねばなるまい。
だが、聞こえてきた言葉はどうやらマイケルの想像とは違っていたようだった。
『しかしまぁ、船乗りってのはみんなこうなのか? フレッド』
『うん? どういう事かな?』
『いい面構えをしてやがる。この船には男前が多くて敵わねぇな』
呆れたような口調で言う辰巳に、フレデリックが艶やかに微笑んだ。
『ふふっ、キミは何を言っているんだい? マイクは、僕の跡を継いでこの船のキャプテンになるんだよ? 男前に決まってるじゃないか。この家を任せられるのは、マイクしかいないからね』
フレデリックの言葉に辰巳が肩を竦めてみせる。フレデリックがこっそり片目を瞑ってみせた。どうやら辰巳は、マイケルが日本語を理解できることを知らないらしい。男前と、そう言われた事は心の片隅に置いておこうと思うマイケルである。それと、フレデリックの言葉も。
マイケルは立ち上がると、もう一度二人に礼を告げて部屋を後にした。
歩きなれた船内の通路を歩く。この船のすべては、頭の中に入っている。何を不安になる事があるのかと、マイケルは白い制服の袖を見た。キャプテンであることを示す四本のライン。
この制服を身に着けている時点で、自分は既にこの船のキャプテンである。そう思えば、自然と背筋も伸びた。
自分は、フレデリックじゃない。真似をしたい訳でもない。そう思えば、思わず笑ってしまうマイケルである。いい加減、仕事をしなければと、船内の巡回に戻った。
その日の夜。部屋へと戻る途中でマイケルは唐突に腕を捉えられた。そのまま、物凄い勢いで腕を引かれる。
何事かと驚いていれば、ひと気のない通路に引き込まれたマイケルのその目の前に、クリストファーの姿があった。人の悪い笑みを浮かべるこの男は、どうにも色気があって困ってしまう。
「クリス?」
「よう、ミシェル。仕事は終わったんだろう?」
「ああ」
「なら、ちょっと付き合えよ」
そう言って、クリストファーは通路のさらに奥へとマイケルの腕を引いた。いったいどこへ行くのかとマイケルが問いかければ、先に何があるのかはお前が一番よく知っているだろうと低く嗤われる。間違ってはいない。
クリストファーの進む先にあるのは、機関室である。それはわかっているのだが、どうしてそんな場所に行こうとしているのかが分からないのだ。と、そうマイケルが言えば、嘲るようなクリストファー声が返された。
「はん? 俺がお前に用事って言ったら、ひとつしかないだろう」
「ッ……」
「思い出したか?」
そういえば、そうだった。マイケルの顔に熱が集中する。クリストファーを口説こうと思ったものの、本気の恋愛など御免だと一度断られたのだ。だったら、性生活に奔放なクリストファーの遣り方に乗ってやろうと思って先日声をかけたのを、マイケルはすっかり忘れていた。
クリストファーに捕まれた腕が、ジンジンと痺れている。
「クリス、腕が痛い」
「おっと、これは悪かったな。加減を間違えたようだ」
パッと手を放して、クリストファーが喉を鳴らすように嗤う。縒れた袖を直しながら問いかけた。
「どうして機関室なんかに行く?」
「近かったから」
「はあ? 何を言ってるんだお前は…」
呆れたようにマイケルが言えば、クリストファーは耳元に顔を寄せて低く囁いた。
「咥えたい。今すぐに」
「まったく、お前には参るね…」
恥ずかしげもなく告げられる言葉に苦笑が漏れる。どれだけこの男は欲望に忠実に生きているのかとマイケルは思う。ともあれ、自分を選んでくれただけマシだと、そう思うしかない。クリストファーの遊び相手は、他にもたくさんいるはずだった。
機関室の扉を開き中へと入った瞬間、クリストファーの手によって閉まった扉に押し付けられる。その強さに、マイケルの息が詰まった。本当に手荒い男である。
「ッお前、いつもこんなに荒いのか?」
「さあ、どうだろうな。自分だけ特別だと思っている方が幸せになるれと思うが…、優しくされたいのか?」
「どうせなら、特別に優しくしてくれると有り難いね」
冗談めかして言うと、クリストファーがフッと目を眇めて嗤った。それだけで、マイケルは何故かクリストファーの顔が見られなくなる。恥ずかしい。せめて主導権を握れたのならと、そう思うのだが、この男はそれを許してはくれない。
マイケルの下肢を剥き出しにして、クリストファーが耳元で甘く囁く。
「違うな、ミシェル。おねだりの仕方は、この間教えたばかりだろう?」
ゾクゾクと背筋を這い上がる感覚が、何なのか分からない。悪寒のようで、だが気持ちが良い。息苦しい程に。
思わず息を吐き出せば、クリストファーの唇に吐息ごと奪われる。唇を合わせたまま、脅迫にも似た響きを持つ声がマイケルに告げた。
「どうした? 優しくして欲しいのなら素直にお願いしてみろよ。上手にできたら、願いを叶えてやる」
「っぁ…クリス…」
唇が、戦慄く。羞恥に染まった顔をクリストファーに見られたくなくてマイケルは俯いた。お願いしろなどと言われると、どうしたらいいのかわからなくなってしまう。何と言っていいのかもわからない。
震えるマイケルの唇から、小さな音が零れる。
「ゃ…さしく…してくださぃ…」
言葉に出した瞬間、カッと顔が熱くなって全身へと熱が広がるのをマイケルは感じた。自分は今、何を馬鹿な事を口走ったのだろうか。そう思うと、顔どころか全身が羞恥に熱くなる。
「ッ…は…っ、ぁ」
「おねだりするだけで気持ち良くなったのか? お前は可愛いな…ミシェル」
くつくつと喉の奥で嗤うクリストファーの指先が、剥き出しにされたマイケルの下肢へと伸びる。はっきりと熱を持って存在を誇示するそこを、ゆっくりと撫で上げた。その気持ち良さに、マイケルが小さく喘ぐ。
いつの間にか床に膝をついたクリストファーの唇が、雄芯を飲み込んでいく。ねっとりと熱い口腔に包み込まれる。だが何故か不安に駆られてマイケルは逃げを打った。
引いた腰が当たり、ガタンッと扉が大きな音を立てた。荒々しくされている訳でもない。歯を、立てられている訳でもない。それなのに、どうしてかクリストファーが怖かった。
「ふっ…あっ、な…に…、っあ、はっ、はあっ」
ゾクゾクと爪先から這い上がるそれは、紛れもない恐怖。それなのに、クリストファーの口に含まれたそこだけが、とてつもなく熱くて頭がおかしくなりそうだった。
快感と恐怖の狭間で揺れ動き、マイケルが浅い呼吸を繰り返す。クリストファーが口を離した。立ち上がり、マイケルの頬を優しく両手で挟みこむ。目の前に、クリストファーの愉し気なグレーの瞳があった。
「っぁ、…ク…リス…ッ、はっ…ッあ」
「怖くて、気持ち良くて、どうしようもないって顔をしているな」
グレーの瞳が、マイケルを映し出していた。クリストファーの唇がゆっくりと動く。その声音は、とても優しかった。
「優しくしてやってるだろう? どうして怖がる」
「っわ…からな…ッ、はっ、クリス…ッ」
「くくっ、おかしくなりそうなほど…気持ちよくしてやるよ」
再び膝を折ったクリストファーが、見せつけるようにマイケルの中心を舐め上げる。硬く勃ちあがった屹立の筋をザラリとした舌が這う。堪えるように手をついた扉に爪を立てた。
今にもくずおれそうなほど、マイケルの膝は震えていた。その口から、とめどなく声が漏れる。
「あッ、あぁ…ぁああッ」
急速に吐精感が込み上げるそれを、クリストファーの口の粘膜が包み込む。喉の奥まで迎え入れられて、締め上げられる感触が、堪らなく気持ち良い。勝手に言葉が零れ落ちる。
「クッ…リス…ッ、お願いだ…っ、もう…ッイ…かせて…っ」
その瞬間、キツく唇で根元を食まれ、吸い上げられて耐えられずマイケルはビクリと腰を跳ねさせた。悲鳴にも似た響きを持つ嬌声が聞こえる。それが自分の口から漏れ出ているのだと、信じたくない。
「ッひ、あぁあ…ああぁあッ、アッ、――…ッッ!」
ガクンッと、マイケルの視界がぶれる。放出と同時に膝から力が抜け落ちて、立っていられなかった。
マイケルの躰が床に落ちる直前で、クリストファーの腕がそれを受け止めた。もう片方の手で、マイケルは優しく頭を撫でられる。だが、相変わらず喉の奥で低く嗤うクリストファーが、マイケルは恐ろしくて堪らなかった。それなのに、その手がもたらす感触は、とても気持ちが良い。
グラグラと揺れる視界にクリストファーの顔が見える。チュッと小さな音をたててマイケルの唇に口付けるクリストファーは、愉しそうに嗤っていた。
床に座ったクリストファーに、躰を抱え上げられる。たいして変わらない体躯にもかかわらず、易々と膝の上に抱えられてマイケルは戸惑った。クリストファーが、静かに口を開く。
「ミシェル。この関係が嫌になったらいつでも言っていいんだぜ? その時は、ねだらなくてもちゃんと離してやる」
「俺は…お前が怖い…」
「怖くて離れられなくなる前に逃げろよ? ミシェル」
強引にこうして引っ張り込んでおいて、逃げろとはどういう事か。そう簡単にクリストファーを諦められる筈がなかった。
きっかけなどとうに忘れてしまったが、この男じゃないと駄目なのだ。自分は、この男以外を愛せない。例え、この男が誰を愛していようとも、自分には関係ない。
「お前が…欲しい…クリス…」
「くくっ、それじゃあまるで、抱かれたいって言ってるように聞こえるぜ?」
「ッ…残念だが、抱かれた事は今まで一度もないんだ」
「そりゃあそうだろう。お前みたいなでかい男を誰が抱く?」
クリストファーが、可笑しそうに笑う。
いつの間にか、マイケルの中からクリストファーへの恐怖心は消えていた。すぐ近くにあるモデルのように整った顔を見る。
「クリス…どうすれば…お前は手に入る?」
「残念だが、俺は誰のものにもならん。ついでに言うなら誰を手に入れたいとも思わん。代わりに少しだけ、他の奴と違った快楽を与えてやる。…それで満足しておけよ」
喉を鳴らして嗤うその笑みが少しだけ寂しく見えるのは、薄暗いせいだろうか。そんなはずはない。この男は、いつもこうしてひとりで嗤っている。誰と居る時も。どんな時も。
マイケルはクリストファーの頬に手を伸ばした。触れたいと、そう思ったから。
「誰が勝手に触れていいと言った?」
クリストファーのその一言で、指先が止まる。肌に触れる直前で動かなくなったマイケルの指先が震えていた。ようやく理解する。クリストファーに逆らえない理由を。恐ろしいのだ。この男は。
だからこそ、どうしても触れたくなる。頼みこんででも。
「欲しい…クリス…。お前に…触らせてくれ…」
「わかってきたじゃないかミシェル。いいだろう、触らせてやる」
駄目だと言われると、欲しくなる。手に入らないものほど、恋い焦がれる。
マイケルは指先でクリストファーの美しい顔に触れた。陶器のように滑らかな肌は、顔だけだ。クリストファーの躰に無数に残る傷痕がマイケルの脳裏を過ぎる。
滑らかな肌を滑り落ちた指先が、服地の上からクリストファーの胸に触れた。その胸が、小刻みに震える。
「くくっ、随分と大胆だな。また、怖い思いをしたいのか?」
「ああ。…怖くても…お前に触れたいね…クリス」
「俺の躰が欲しいなら、おねだりの仕方を覚える事だ。上手に出来たら、躰だけはくれてやるよ」
心は? と、そう問いかけようとしたマイケルの言葉は、音にする事が出来なかった。呼吸すら止まりそうな息苦しさに苛まれる。
クリストファーのグレーの瞳が、それ以上の言葉は許さないと、そう告げていた。
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