【プロローグ】

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【プロローグ】

 世界中の名だたる豪華客船のなかでも、名実ともに最高峰との呼び声高い大型客船クイーン(Queen)オブ(of)(the)シーズ(Seas)の船内。カジノディーラー専用の休憩室に、ゲームマネージャー、クリストファーの姿があった。  休憩室と言ってもスタッフ専用の通路側に扉はなく出入りがしやすい作りになっている。フロアへ向かう通路には、ドアがあった。要は通路みたいなものである。そこには、現在クリストファー以外に人はいない。  クリストファー(Christopher)。略称はクリス、年齢は三十八歳。身長、百八十四センチ。体重、六十九キロ。国籍はフランス。  肩まである赤茶の髪は緩く弧を描き、グレーの瞳をしている。大型客船クイーン・オブ・ザ・シーズのカジノディーラーだ。ゲームマネージャーである彼は基本的にすべての業務をこなすが、通常の担当はカード。ディーラーの仲間内でキングという愛称で呼ばれる彼は、特定の恋人を作らない事で有名だった。  キングという愛称は、ディーラーの中でもトップクラスのチップを稼ぐ事に由来する。カジノディーラーの給料は、そう高くない。だが、客からのチップはすべてディーラーに還元される仕組みになっている。  一日のチップは、一旦全員分纏められ、平等に分配される。それ故、クリストファーの稼ぐチップの恩恵は、ディーラー全員が受けているのである。  見目も良く、ディーラーとしての腕も良いクリストファーが稼ぐチップは、クイーン・オブ・ザ・シーズの中でもずば抜けていた。  フランスでの長期休暇を有意義に過ごしたクリストファーはその日、久し振りに”表の”職場であるクイーン・オブ・ザ・シーズに乗船していた。今回のクルーズは船を所有する会社の創設記念に合わせての特別な運航スケジュールだと聞いている。長い船旅になりそうだった。  クリストファーの本職はマフィアである。この船でそれを知っているのは、普段はこの船のキャプテンを務め、現在は休暇中のフレデリックという同じ年の兄貴と、その恋人の辰巳一意(たつみかずおき)くらいのものだ。  というのも、二人はこの船で世界一周の新婚旅行をするといって、現在この船に客として乗船しているのである。まったく、気楽なものだと思う。  別に自分と同じく養子である兄貴が男の恋人を作ろうが、クリストファーは何とも思わなかった。最愛の人を失った以上、クリストファーに愛すべき人はいない。であるならば、恋愛など遊びでいいと思っているし、相手の性別を気にする事もなかった。  クリストファーが特定の恋人を作らない事は、カジノの仲間内でも有名である。ついでに、自由奔放な夜のお付き合いをする事も。幸い、クリストファーの見た目は整っている。女でも男でも、口説き落とす事に不自由は感じない。  休憩室のテーブルでコーヒーを飲んでいたクリストファーは、背後に気配を感じて振り返った。肩を叩こうとしていたのは、今回のクルーズでこの船のキャプテンを務めるマイケルである。  肩を叩く前に見上げられて驚いたように目を見開いたマイケルは、だがすぐにシニカルな笑みを浮かべた。 「ここ、座っていいか」 「ここは、ディーラー専用の休憩室だが?」  クリストファーとマイケルの口から流れ出る言葉は、英語だった。このクイーン・オブ・ザ・シーズで働くクルーの人種は様々だ。そのため、クルーの会話は公用語である英語で交わされる。  クリストファーは、その他に母国語であるフランス語、日本語とスペイン語を話すことが出来る。今は中国語を学んでいる最中だった。 「そう固い事を言わなくてもいいだろう? あの話、考えてくれた?」 「どの話だ」 「ははっ、酷いな」  クリストファーの向かいに腰を下ろしながら困ったように笑うマイケルのジェスチャーは大きい。  アメリカ人だからという事ではなく、それが意図的なものであるという事をクリストファーは知っていた。ちなみに、マイケルが言う”あの話”の内容も。  マイケル(Michael)。略称はマイク、年齢は三十五歳。身長、百八十五センチ。体重、七十二キロ。国籍はアメリカ。  こげ茶の髪と瞳を持つ彼はクイーン・オブ・ザ・シーズいち冷静沈着で真面目なチーフオフィサーだ。今回のクルーズでは、キャプテンのフレデリックが休暇のために代理でキャプテンを務める事になっている。  ともあれ、とぼけてみせるクリストファーの耳元に、身を乗り出して顔を寄せたマイケルが低く囁いた。その声音は、甘い響きを纏っている。 「お前とベッドの上で仲良くしたい」 「はん? 付き合いを断られたら次は躰か。随分と節操がない男だな」 「付き合ってくれないならせめて躰だけでも欲しいと思うのは、男として当然だろう」  クリストファーは、一度マイケルに告白されている。もちろん、断った。自由奔放なお付き合いならまだしも、本気の恋愛に興味はない。  マイケルの台詞に、クリストファーは呆れたように肩を竦めてみせる。だが、そういう所は嫌いじゃないクリストファーだ。セックスフレンドとしてなら、マイケルは顔も躰も申し分はない。  それに、女と違ってわざわざ暗がりに引きずり込む必要もない。クリストファーの躰には、古傷が数えきれない程ある。相手が女だと、稀に怖がられることがあるのだ。それが、面倒臭い。  幸い休憩室には他に人も居なかった。にやりと、クリストファーが口角を上げてみせる。 「そうだな…とりあえずお手並み拝見といこうかマイク?」  テーブルを挟んで座るマイケルの胸ぐらを、クリストファーが掴んで引き寄せる。突然の事に驚くマイケルに構う事なくクリストファーはその唇を奪った。すぐさま目元を緩ませて舌を絡めてくるマイケルの吐息を貪る。  船のエンジン音が低く響く休憩室に、水音が加わった。やがて透明な糸を引きながら艶やかな唇が離れる。 「まあ…いいか。但し、お付き合いはベッドの上だけだ。それと、当然ながら俺が他の誰と寝ようが文句は言うなよ?」 「随分とつれない事を言う」 「守らなかった時は、それまでだ。忘れるなよ」  そう言ってクリストファーは立ち上がった。そろそろ、フロアに出なければならない時間である。休憩室のドアの前で立ち止まり、クリストファーはふと思い立ったようにマイケルを振り返った。 「今夜、お前の部屋に行く。空けとけよ…ミシェル?」 「ッ…お前って奴は…」 「じゃあな」  ひらひらと手を振ってクリストファーが出て行ったドアを、マイケルは唖然とした表情で見ていた。クリストファーの誑しっぷりに舌を巻く。ミシェルは、マイケルのフランス語読みである。フランス人であるクリストファーがそう呼ぶのは何らおかしくないが、今までにそんな呼び方をされた事がない。  やれやれと無人の休憩室でマイケルは小さく首を振って立ち上がると、自分の仕事へと戻っていった。  くぐもったノックの音にマイケルがドアを引くと、壁に肘をついたクリストファーがすぐ目の前に立っていた。その近さに一瞬驚く。 「よう、ミシェル?」 「噂に違わぬ誑しっぷりだなクリス。まさかそんな名前で呼ばれるとは思わなかった」 「はん? 他人の前じゃ今まで通りさ。燃えるだろう?」  部屋に入り込みながら、クリストファーがマイケルの喉元を撫で上げる。そのままあっさりと素通りされて、マイケルは首を振ってドアを閉めた。  他人の部屋だというのにベッドで寛ぎ切ったクリストファーに、マイケルが尋ねる。 「飲み物は? 俺は飲めないが、酒を飲むのならあるぞ」 「ああ、言い忘れてた。俺に酒を飲ませるなよミシェル。これは絶対だ。そうでないと、冗談抜きでお前が痛い目を見る。…わかったな?」 「そんなに大袈裟に嫌がる事もないだろう?」  無理には飲ませはしないと言いながら笑うマイケルだが、クリストファーの言っている事は冗談ではなかった。  クリストファーの酒癖は、頗る悪い。別に二日酔いになる訳でもないが、どうにも躰が疼くのだ。血が、欲しくなる。それと、支配欲。  兄貴の恋人にもいたずらにクリストファーは酒を飲まされたが、もう少しで顎を砕くところだった。ついでに両腕を戒めて悲鳴をあげさせるという始末である。気をつけないと、一般人などひとたまりもなく殺してしまいそうだ。  クリストファーは、幼い頃からあらゆる格闘技を叩き込まれて育ってきた。それは養父の職業に由来するが、本職がマフィアであるクリストファーにとっては有り難い事だ。但し、誰彼構わず素性を明かす訳にはいかないのである。  酒を飲まされて一般人を傷付けるつもりもない。まあ、飲まされた時は痛い目を見ればいいとは思っているが。 「まあ、大袈裟だと思うなら思っていてもいい。痛い目を見るのはお前だからな」 「ふぅん。まあいい、どうせ俺も船の中では酒は飲まないしな。コーヒーでいいか」 「コーヒーなんて飲んでる暇があるのか? キャプテンの朝は早いだろう」  クリストファーの言葉に、マイケルは肩を竦めてみせた。ベッドに肘をついて頭を乗せたクリストファーが、掌を上に向けて指を動かす。煽るようなその仕草に、マイケルはコーヒーを諦めた。  尻を乗せただけで中途半端にベッドに寝そべっているクリストファーに、マイケルはベッドに両手をついて口付けた。ぴちゃぴちゃと卑猥な水音をわざとらしく漏らすクリストファーの目が、愉しそうに笑っていた。性悪にも程がある。呆れたようにマイケルは問いかけた。 「シャワーは?」 「どっちでも構わないぜ? お前に合わせてやるよミシェル」  どっちが好きなんだ? と、視線で問いかけるクリストファーのジャケットを、マイケルは脱がせにかかった。シャワーを浴びるにしても、どちらにせよ脱がせる事になる。それに、別に浴びなくても問題はない。  クリストファーの上半身を露わにして、マイケルが息を詰めた。服の上からでは予想も出来ない程、無駄のない躰に驚かされる。みっしりと引き締まった筋肉は、クリストファーの綺麗な顔立ちからは想像もできないものだ。年上だと思って侮っていたらとんだものが出てきてしまった。 「これはこれは…意外だな…」 「どうした?」  にやにやと嗤うクリストファーは、相当躰に自信があるらしい。それも当然の事である。マイケルも鍛えている方ではあるが、クリストファーには敵いそうにない。だが、もっと驚くべきは、その躰に刻まれた傷痕の数である。大小様々、中には最近ついたのではないかという痣まであった。傭兵か何かかと疑いたくなる。  思わず言葉を失うマイケルに、クリストファーが笑みを深くして揶揄うように言った。 「抱く気が失せたか? まあ、俺が抱いてやってもいいけどな」 「まさか。驚くくらいは…許されるだろう?」 「そうだな。許してやろうか」  偉そうに言ってくるクリストファーにどうしてか惹かれる。まるで吸い寄せられるように、マイケルは傷痕を舌で辿った。いつの間にかクリストファーの肌の感触に夢中になる。  それを愉し気に見遣って、クリストファーがマイケルの服に手をかけた。シャツしか着ていないマイケルの素肌は、すぐに曝された。その腹筋を指先で撫で上げて、クリストファーが喉の奥で嗤う。 「良い躰だ」 「悔しいが、嫌味にしか聞こえない」 「はん? 当然だろう。有り難く抱くんだな」 「参ったな…」  くつくつと嗤うクリストファーは、自ら残りの布を脱ぎ捨てるとベッドの上に移動した。そのまま俯せになると、膝を立てて背を撓らせた。誘うように尻を高く上げる。 「舐めろ」 「ッ……」  有無を言わせぬ口調で命令されて、無意識にマイケルの喉が鳴る。マイケルは一瞬戸惑ったのち、曝されたクリストファーの蕾にむしゃぶりついた。  舌で蕾を愛撫する間も、クリストファーの口からは嗤うような声が聞こえ続けた。それが余計にマイケルの欲望を煽る。触られてもいないのに硬く反り返ったマイケルの屹立から透明な蜜がシーツに糸を引いた。 「挿れたいか? ミシェル?」 「ああ…」 「なら、お願いしてみせろ。上手くおねだりできたら、挿れさせてやるよ」  自らの手で蕾を広げながらクリストファーが誘惑する。どうしようもなく魅力的なその姿に、マイケルは息が詰まるのを感じた。強請るような真似などしたくないと思うのに、クリストファーの声は、それを許さないような響きを纏っている。 「ここに、挿れたいんだろう?」 「挿れたい…」 「違うな、ミシェル。そうじゃない」  クリストファーは、口調を荒げる訳でもない。それなのに何故か迫力があるのだ。逆らう事を許さないクリストファーの声に、マイケルは小さく呟いた。 「っ…挿れさせて…ください…」 「いい子だ。ご褒美をくれてやる」  クリストファーの指でひと際広げられた蕾に、マイケルは雄芯をあてがった。それでも抜かれる気配のない指に沿わせて侵入を果たす。キツく引き締まるのは、入口だけではなかった。ナカで蠢く襞が、意志を持ったようにマイケルの雄芯を締め付ける。  思わず漏れる呻きに、クリストファーがくつくつと嗤う。その余裕が、どうしようもなくマイケルの欲情を煽る。こんなセックスを、マイケルはした事がない。  そもそもマイケルは上から物を言われることがあまり得意ではない。どちらかと言えばプライドが高い方だという自覚があった。それなのに、クリストファーに逆らえない。それどころか、どうしようもなく興奮してしまう。  何故? と、そう思う前に、隷属している。不思議な感覚だった。 「戸惑うなよミシェル。今は考える時間じゃない。そうだろう?」  ゆらりと腰を揺らされて、マイケルはその気持ち良さに飲み込まれた。クリストファーのナカがうねるように雄芯を締め上げて、直截的な快感を与えられる。もっと…と、勝手に躰が動く。  マイケルはクリストファーの腰を掴んで欲望のままに揺さぶった。 「ッ…ぁ…クリスっ」 「そうだ。…それで…いい」  掠れたクリストファーの声が耳朶を刺激する。 「はっ…ッア、良いッ…クリス…ッ」  揺さぶられながら腕で上体を持ち上げるクリストファーの背に、マイケルがしがみ付く。目の前で撓る背中の窪みに、マイケルは夢中で舌を這わせた。肌が甘い。 「ああ…いい子だ、ミシェル…もっと…腰を振ってみせろ」 「ッア、…これ以上っ、…はッ、イ…キそう…ッ」 「まだだ…我慢しろ。勝手に吐き出せると思うなよ」  クリストファーの言葉が、マイケルの躰を支配する。クリストファーの言葉を、どうしても無視できない。  動きが緩慢になる度に、クリストファーは腰を揺らめかせた。同時にナカの襞が誘い込むように収縮して、マイケルの躰は反射的にナカを抉らされる。凄まじい吐精感を我慢させられて、限界にマイケルの脚がガクガクと震えた。懇願するような声が口をついて出る。 「ぅあ…ッ、もうっ…クリスッ、イきた……イかせてッ…くださいっ」 「よく…わかってるじゃないか…ミシェル。お前は…いい子だ」 「はっ…、あっ…、もうッ、イッ…ッア」  限界を超えたマイケルの声に、クリストファーが嗤う。 「いいだろう。吐き出せよ…全部ッ、な…ッ」  言いながらクリストファーは、自ら腰を動かしてマイケルの雄芯を最奥に突き入れた。  衝撃に、マイケルの口から悲鳴にも似た呻きが上がる。挿れているのにまるで犯されているような、倒錯的な感覚にマイケルの思考は侵食された。 「あぁああッ、――…ッッ!! ッイ」 「ッ…ふっ、ああ…、お前の体液は熱いな…ミシェル。気持ちが良い…」 「っう…ッ、あッ、ハッ、…イイッ」  クリストファーの腰をマイケルはキツく掴んだ。最奥まで突き入れられた屹立が蠢く媚肉に締め上げられて、白濁を搾り取られる。喉を仰け反らせていたマイケルは、絶頂を超えて項垂れた。  その口から漏れる呼吸の熱さに、クリストファーは満足そうに口許を歪めた。再びナカで熱を取り戻すマイケルに構う事なく、自身のナカから屹立を引き抜いた。  マイケルの口から困ったような声が零れ落ちる。 「っ…クリス…」 「そう何度もイかせてもらえると思ってるのか?」 「性悪にも程があるな…」  ベッドに両手をついて項垂れるマイケルの頤を指先で持ち上げて、クリストファーが優しく口付ける。  チュッと小さな音をたてて離れる唇に、マイケルが困ったように眉を下げた。どうしてこう、逆らえないのだろうかと、そう思うマイケルである。 「なんで…」  小さく呟くマイケルに、クリストファーが喉を鳴らした。 「なんで逆らえないのか…不思議か?」 「ああ…」 「まあ、気が向いたら教えてやるよ。その時まで、お前が俺の相手をしてられたら…な」  正直、マイケルは虐げられる事を好むタイプではない。それはクリストファーも知っている。  クリストファーの言う事にマイケルが背けないのは、ただの恐怖心だ。クリストファーは、相手を脅しているだけである。少ない言葉だけでそれは十分だ。  ともあれ、マイケルがそれでも遊んで欲しいというのなら、クリストファーは遊んでやってもいいと思っている。ゲームは、嫌いじゃない。クリストファーは、にやにやと嗤いながら問いかける。 「さあ選べ、ミシェル。俺の遊び相手になってみるか?」  答えなど、とうに決まっている。マイケルは、クリストファーに逆らえない。  今回の獲物は決まった。長いクルーズの間の暇潰し。ゆっくりと頷くマイケルを、クリストファーは愉し気な顔で眺めていた。
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