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「うん、迷ったけどね。実際、じいちゃんが死んだとき、この店売ろうかって話も出たんだ。だから、律は自分の好きなことをすればいいって叔父さんたちも言ってくれたんだけど」
「……うん」
「あのとき、自分がいちばんやりたいことを選んだら、結局こうなっちゃった」
でも、結構さまになってるでしょ、と律がおどけてエプロンの裾をつまんで持ち上げてみせる。その嘘のない笑顔を見て、深谷もようやく自分を取り巻いていた緊張がゆるゆるとほどけていくのを感じた。
──ここに来れば、会えると思っていた。
けれど一方では、もう会わない方がいいような気もしていた。
「深谷さんは? 今日は仕事でこっちに?」
「ああ、出張。つい先日、この先の隣町にうちの取引先の会社が移転になって、契約内容変更の書類を届けに行った帰り」
説明して、傍らに置いたブリーフケースを示すと、律がへえ、と妙に感心したような声を上げる。
「すごいね。もうしっかり社会人してるんだ」
「何言ってんだよ。それを言うなら、あの岡嶋古書店名物のどら孫が今は店長。またえらく出世したもんだな、律」
自然とくだけた口調になって深谷が笑うと、耳慣れない造語に律がきょとんと瞳をまたたかせる。あのころよりずっと大人びたきれいな顔が、一瞬だけ、深谷が知っていたあどけない少年のそれに戻る。
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