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そこにある存在すべてを心から愛おしいと思う。
あの、泣き出したくなるような気持ち。
「あんなふうに、誰かを手に入れたいなんて思ったの、生まれて初めてだった」
「……律……」
「でも、それと同じくらい、そんなことを考える自分がすごく怖かった」
だから、と声にならない律の言葉が、ふたりを包む白い空気に溶けて消える。だからあのとき、一緒には行けなかった、と。
──三年前の春、都内の企業に就職が内定した深谷に、律は笑ってバイバイ、と言った。視界を白く染め上げる三月の忘れ雪が、ホームに佇む律の髪に、ダッフルコートの肩に、音もなくいつまでも降り続いていた。
まるで、サイレントムービーを観ているような、別れの情景。
「さっきの話だけどね」
と、ふいに声の調子を変えて、律が言葉を接ぐ。そして、その意味を捉えかねて首をかしげた深谷を見て、唇にふわりと淡い笑みを上らせた。
「ほら、この店を続けるかどうか迷ったって言ったやつ。──あれね、嘘。本当はあの日、深谷さんを見送りに行ったときに決めたんだ」
「……あのときに?」
おそらくは今、互いのなかに同じ風景を見ていることを確信しながら、律の言葉をたどる。
本当はすぐにでも引き返して、抱きしめて、そのまま無理やりにでも連れ去ってしまいたかった。
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