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けれど実際には、少しずつ遠くなっていくすがたを目で追いながら、手を振り返すことさえできなかった。
──それは、あまりにも幼くて自分勝手だった、恋の終わり。
「この店は、特別だから」
神にささげる祈りのように、おごそかな律の声が薄暗い室内の静寂をふるわせる。
「深谷さんとの初めてが、たくさんたくさん詰まってる場所だから、……だから絶対、失くしたくなかった」
目の前をたゆたうひかりのなか、彼と過ごした三年前の記憶が鮮やかに映し出されていく。
初めて出会った日、まさか店長の孫だとは知らずに律を店から追い出してしまったこと。ことごとく互いの好きな本が共通していることを知って、思わずふたり顔を見合わせて笑ったこと。店番もそこそこに、居合わせた客相手に延々とミステリ談義をやらかしたこと。
そして、あの夏の日、初めて想いを交わした日のことも。
「──深谷さん」
ふと、名前を呼ばれたかと思うと、伸びてきた律の指にネクタイを絡めとられる。
そのまま、引き寄せられるようにして、律が手にしていた単行本の陰でふたり、唇を重ねていた。
「……律……」
「よくこうやって、本棚の陰とかに隠れてキスしたよね」
内緒話をする子どもみたいに声をひそめて、律がくすぐったそうな笑い声を聞かせる。無邪気な彼らが大好きなひとたちにする、ままごとめいたくちづけ。
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