二階での話(志藤絢)

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「あぁ、もう……」  寝不足の頭は働かないし、わが子の泣き声が響いて頭が痛い。泣いてしまったせいで無駄なエネルギーも消費したし、今すぐ倒れてしまいそうだった。もう限界だという自覚はある。  そもそも、わたしは結婚になんて向いていなかったのだ。あんな男に引っかかってしまうばかな女が、幸せな結婚をしようだなんて笑わせる。その程度の女のくせに子供を持つなんて、そんな資格あるわけない。わたしなんかのもとに生まれてきたこの子がかわいそうで、また泣けてくる。ずっと研究だけをしていればよかったのに、人並みの幸せなんかを求めたからこんなことになったのだろう。 「ごめんね……。こんなお母さんでごめんね……」  わが子をぎゅうっと抱き締めたその瞬間、ある考えがよぎった。こんな両親のもとに生まれて、この子は幸せになれるのだろうか? 「いっそ……」  口にしかけて、慌ててやめる。思考を振り払うようにかぶりを振って、わが子の頬に触れた。 「いい子ね、いい子……。お母さんはあなたが大好きよ。あなたが大好き。パパだってそうよ。きっとそう……」  そう、この期に及んでわたしはまだ期待していた。いつかきっと夫は気付いてくれる。そして、もう大丈夫だよと微笑んで、わたしの頭をなでてくれる。だから、その日まで耐えればいいのだ。かわいいわが子と一緒ならその日まで耐えられると、自分自身に期待していた。もう限界だと理解しているのに、だ。  やにわにインターホンが鳴り響き、わたしは頬を拭ってモニターに目をやった。画素数が少ないモニターの中では、何度か廊下ですれ違ったことのある隣人がこちらを睨むように見据えている。さすがにそろそろ苦情のひとつやふたつは来るだろうと思っていたけれど、よりにもよって今かとうんざりした。 「……はい」 『あ、どうも。わたし、隣の者なんだけど。今、少しいいかしら?』 「あー……はい、大丈夫です。今開けますね」  正直なところ、お隣のご夫婦のことは苦手だった。旦那さんは陰気で何を考えているか分からないし留守がちであまり見かけない。奥さんのほうはどこか冷たい雰囲気というか、つんとしているから声もかけづらい。にこやかに挨拶をしても無表情に「……どうも」と会釈をされるだけだ。それでも、抗議を受け付けないわけにはいかないのでドアを開ける。 「忙しいところごめんなさい。上がらせてもらっても?」
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