六階での話(志藤絢)

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六階での話(志藤絢)

 マナーモードにしたままのスマホが振動する鈍い音に、わたしは目を開いた。待ち受け画面の時刻表示を見る限り、どうやら寝ていたのは五分程度のようだ。  メッセージアプリを開くまでもなく、通知で内容を確認してため息をつく。送り主は職場の同僚で、アルバイトの子が体調不良で欠勤だという旨が記してある。そして言外にひそむのは、「店長、今から来られませんか?」というお願いだ。早朝ラッシュの時間帯なのに申し訳なく思いながら店の番号に電話をかけると、そう時間もかからずに店名を告げる声が聞こえた。 「おはよう。メール見ました。今どんな感じ?」 『あっ、店長! おはようございます。えーっと、今は夜勤の城さんが残業してくれてます。一服してたら帰りそびれたみたいで』 「そっか。じゃあもうちょっとだけ残ってもらって。支度してすぐ行く」 『すみません~! 店長もけさ八時まで働いてたのに……』 「ううん、大丈夫。ちゃんと寝たから。城くんにはひと箱おごるって言っといて。ごめんね、もう少しだけ頑張ってね」 『はい!』  電話を切ってから息を深く吐く。嘘ではなかった。少しとはいえ、ちゃんと眠れたので頭はすっきりしているし、体もつらくない。それどころか、帰宅してから思ったより時間があったので、久々にニュースを見ながら廃棄弁当以外の朝食を食べる余裕もあったのだ。自分でもびっくりするけれど、これ以上を望むほど欲がないのは生まれつきだ。物欲も全くと言っていいほどないし、これといった趣味もない。一日に一度、ゆっくりごはんを食べられればそれでいい。五分でも目を閉じられればそれでいい。あとは、たまの休日に酒盛りができれば十分だ。  つくづくコンビニ向きだなあ、なんてことを考えながら顔を洗い、歯を磨き、着替えると申し訳程度に化粧をして家を出た。実に一時間ぶりの出勤だった。  ◆ 「ねぇ、ミヨコちゃん、幸せってなんだろう?」  藪から棒なわたしの質問に、彼女は目をしばたたかせた。きちんとマスカラで上を向かせたまつ毛によって、ぱちん、ぱちんと音がするのが楽しい。 「……店長、だからちゃんと休み取らなきゃだめですよって言ったじゃないですかあ。けさも夜勤明けなのに呼び出されたんでしょ?」
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