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◇ 最終話 藤堂学 ◇
気象庁が桜の開花を宣言したその日、藤堂は長年勤めた篠宮コーポレーションを退職した。
大仰な見送りは要らないと申し出たものの、前社長という肩書がそれを許さず、花束を持って大層な人数に見送られるという半ば羞恥プレイを強要されたところである。
自宅マンションに送ってくれた運転手にまで花束を渡されたのには驚いたが、そう悪い気分ではない。長年送迎をしてくれた礼を述べて、車を見送った。
肩の荷が下りたとは言えど、藤堂はまだ四十を過ぎたところである。リタイアするにはまだ早く、実際、今後の就職先も既に決まっていた。
膨大な量の花束を一先ずリビングのテーブルに投げ出して、藤堂はバスルームへと向かった。この後、藤堂は啓悟と共にアメリカへと飛ぶ予定だ。
藤堂の退任に合わせて、二人きりで挙式を挙げようと計画したのはかれこれ数年前になる。ようやくそれを実現できる事が、藤堂は嬉しい。
待っているだろう啓悟を、早く迎えに行ってやりたい。そんな事を思いつつ手早くシャワーを浴びた藤堂がリビングへ戻ると、そこには啓悟本人が待っていた。
「よう」
藤堂がテーブルの上に投げ出した花束をひとつひとつ綺麗に花瓶に活けながら、付き合い始めた頃より精悍さを増した啓悟が笑う。
「啓悟?」
「凄い数だな。さすが社長」
揶揄うように言う啓悟を、後ろから抱き締める。
「ちょっと、まだ途中…」
「待ってろと言ったのにお前は…。そんなに早く会いたかったのか?」
低く耳元で囁くように言えば、啓悟の肩がぴくりと震えた。
「ん…悪いかよ…」
「悪くはない」
「じゃあいいだろ。放せって…、これ片付けるから…」
言いながら手を動かす啓悟を強引に振り向かせて口付ける。
「っん、…っふ…ちょ、藤…堂…っ」
「キスしたい」
「してんじゃねーかよ…っ」
ばさりと持った花束で殴られて、花弁が床に舞う。
さすがに身体を離した藤堂を睨みつけながら、啓悟は散った花びらを拾い上げた。
「ったく、仕事増やすなよな」
「そんなもので殴られるとは思ってなかったぞ」
羽織っただけのシャツに付いた花びらを摘み上げて、藤堂は苦笑する。
「てか、花瓶もうないのかよ?」
「ないな」
「足りなくないかこれ」
「そうだな」
かといって、せっかく贈られたものを捨てる訳にもいかず、藤堂は仕方ないとスマートフォンを取り出した。友人である多田誠の番号を呼び出す。
『なんだ』
発信者が分かっているだけに、多田の返事は素っ気ない。
「由美さん、花、好きだったよな」
『はぁ? なんだ急に』
「いや、退任でもらった花束が多くてな。少し引き取ってくれないか?」
『あー、そういう事か。ちょっと待ってろ』
回線の向こうで二言三言のやり取りののち、多田の声が聞こえてくる。
『いるってよ。どうする、取りに行くか?』
「いや、どうせ外に出るからついでに持って行く。お前の家、花瓶どれくらいある」
『どれくらい…って、そんなにあるのか?』
「まぁな」
苦笑交じりの藤堂の言葉に、多田も察したように笑った。
『まぁ、いつつくらいならあるはずだ』
「助かる。由美さんによろしくな」
『ああ』
通話を切った藤堂を、啓悟が呆れたように見る。
「って事だ、寄るところが出来たから少し早めに出るぞ」
「多田の家に行くのか?」
「ああ」
「行ったことない…」
「そうなのか?」
「まぁ、仕事だけの付き合いだしな。それに、奥さんとか普通嫌がるだろ?」
嫌がるというよりは、夫の会社の社長など気を使うだけだろうと思う。そう啓悟が言うと、藤堂も納得したようだった。
多田自身とは付き合いも長く、秘書という事もあって時間を共にすることが多いが、家族に関しては全く知らない。一応、雇い主として家族構成などは頭に入っている、といった程度だ。
「なんか緊張してきた…」
「どうしてお前が緊張するんだ」
「だって、多田には色々迷惑かけてるし…」
奥さんに怒られたらどうしようと呟く啓悟に、藤堂が笑う。
「お前、自分が社長だって事忘れてないか?」
「そうだけどさぁ、なんかもう、藤堂と多田ってワンセットだし…、頭あがんないし…」
ぶつぶつと呟く啓悟に苦笑を残して、藤堂は着替えのためにベッドルームへと移動した。
着替えを終えた藤堂が戻ると、散乱していた花束は綺麗に消えていた。多田の家へ持って行く分がきちんと纏められている。
「ありがとう」
「んー」
「じゃあ、少し早いが出掛けるか」
「車どうする?」
「どちらでも構わんが、手持ちで持って帰ってくる土産があるなら俺の車の方がいいだろう」
藤堂の運転する車で多田の家へ寄った後、その足で成田へと向かった二人は十時間ほどのフライトを経てサンディエゴ国際空港へと到着した。
迎えの車でホテルへと移動した後、時差で眠そうな啓悟を寝かせた藤堂は、荷解きもそこそこにひとりホテルのラウンジへと向かう。
「よっ、久し振りだな藤堂」
先にラウンジにいた一人の男が、藤堂の姿を見つけて手を挙げた。
「ご無沙汰してます、相模先輩」
「急に連絡してきたと思ったら挙式とはなぁ」
男は藤堂の学生時代の先輩で、相模修司(さがみしゅうじ)といった。大学を卒業してすぐに渡米し、こちらの神学校に入学し神父になったという変わり者である。
藤堂の相手が同性であることを伝えた時も、ただ『そうか』といって驚いた様子もなく受け入れてくれた。
「ところで啓悟君は一緒じゃないのか」
「時差で眠そうだったので寝かせてきました。明日にでも、紹介します」
「ははっ、確かに。夕方出て午前中に着いたんじゃ眠くもなるな」
その後、藤堂は相模と多少の打ち合わせをして別れた。
部屋に戻った藤堂は、未だすやすやと寝息を立てている啓悟の身体を揺すった。このまま熟睡されてしまったら、夜に眠れなくなってしまう。
「ぅんー…?」
「そろそろ起きろ。夜寝られなくなるぞ」
「ぅー…」
小さな唸り声と共に背中を向ける啓悟に、苦笑を漏らす。だが、そのまま寝かせておく訳にもいかない。
「まったく…」
呆れたように呟いた藤堂は、無防備な啓悟の胸元を服の上から揉みしだいた。
「んっ…ぁ」
「起きないと襲うぞ」
耳元で囁くと、どうぞとばかりに腕を首に絡みつかせて啓悟が微笑む。
「起きた。けど襲っていいぞ?」
寝起きの悪い啓悟を起こすだけのつもりが逆に煽られた。
「キスして」
「仰せのままに」
そう返して藤堂は啓悟の唇に口付けを落とした。
啄むだけのキスはいつの間にか互いに貪るような口付けに変わった。唾液を絡め合い、舌を吸い上げては歯列をなぞる。
「……んっ、…は、ぁ…」
啓悟の口から洩れる小さな吐息に水音が交じり合って、藤堂の耳を犯していく。
アメリカに着いて早々こんな行為に耽っていていいのかと思いはするものの、欲望に抗うには、二人の貞操観念は軽すぎた。
「っは、藤堂…っ」
「今度は何をご所望ですか?」
くすくすと笑いながら問いかけると、啓悟がにやりと口の端を持ち上げた。
啓悟の両手が藤堂の頬を挟んで、視線が絡み合う。挑発的な視線が藤堂を射抜く。
「襲えよ、好きなように。全部くれてやるから」
慣れというのは恐ろしいもので、出会った当初は羞恥と快楽の狭間で戸惑っていた啓悟も、いつからか藤堂を煽ってくるようになった。
あの頃の啓悟に戻って欲しいとまでは思わないが、時たまに飲み込まれそうなほどの色気にアテられて箍を外してしまうのが藤堂の目下の悩みである。
「あまり…、煽ってくれるなよ啓悟。歯止めが利かなくなる」
「いいよ、藤堂になら壊されても」
苦笑いと共に呟けば、余計に煽られるから質が悪い。
待てないとでもいうように藤堂の上にのしかかる啓悟の吐息が首筋にあたる。熱く濡れたような声音が耳朶を刺激した。
「っ…藤堂…はやく…」
はやくなどと言いながら胸元をまさぐられ、服をたくし上げられる。胸を舐めながら上目遣いに見上げられて、藤堂は息を呑んだ。
腹に跨ったままの啓悟が服を脱ぎ捨てる。露わになった身体に見惚れる間もなく藤堂の前をくつろげて、啓悟が足元に蹲った。ぬるりとした熱に屹立を包み込まれて、気持ち良さに息が漏れる。
「んっく…ふっ、ぁは…、…おぃひ…ぃ、と…どぅ、の…」
屹立を含んだまま喋るさまがとてつもなくいやらしい。
今すぐに起き上がって犯したいと思う反面、そのまま眺めているのも悪くない。今日はどちらにしようかなどと悩んでいれば、気が逸れたのを察した啓悟に睨まれた。かりっと歯を立てられて思わず腰が跳ねる。
「ッは……、…くっ」
「藤堂の声、エロい」
口腔での戯れ事に満足したのか上体を起こした啓悟は再び藤堂に跨ると、そのままゆっくりと腰を落としていく。充分に濡らされた藤堂のそれが、熱い肉筒の中に飲み込まれる。
「っふ……ぅん、…は、ぁ…ッ」
自ら迎え入れた熱の気持ちよさに、啓悟の口から嗚咽にも似た声が漏れる。
ぺたんと藤堂の上に座ったような状態のままゆるりと腰を揺らめかせた。
「はっ、…あ、ぁ…っ、気持ち…いぃ…っ」
動くたびに啓悟の中が収縮して肉棒を締め付けてくる。
「啓悟」
「んっ…ぅ?」
「自分のも弄って見せろよ」
腹の上でたらたらと雫を垂らす屹立を指で弾いてやる。とめどなく溢れて先端にぷくりと盛り上がった透明な雫が、糸を引いて藤堂の腹に滴った。
「ぁ…やっ、…んッ」
「上手に煽れたら、もっと気持ちよくしてやる」
そう言って藤堂は一度だけ腰を下から突き上げた。
「アア…ッ、ぁ、…は…っ、ぁ」
「ほら」
突然の刺激に咄嗟に胸についた啓悟の手を、己のそれに導いてやる。啓悟の手ごと屹立を握り込んで、扱きあげた。
「っふ…く、…あっ…ぁ、そっ…だめ…っ」
「気持ちいだろ?」
「んっ…、いぃ…から、ダメ……っ」
「くくっ、なんだそれ。気持ちよくなりたくないのか?」
揺すり上げるように藤堂が腰を動かすと、啓悟の身体が撓った。
「ふあぁ…ッ、あっ、らめ…ッ」
駄目と言われると余計にしたくなるのが人間の性とはよく言ったもので、藤堂とてそれは同じ事だ。というより、むしろ嫌だと言われれば言われるほどに、泣かせたくなるからどうしようもない。
意地の悪い自覚はあるものの、すすり泣く恋人の痴態を前にして据え膳を食わぬは男の恥というものだろう。
「最初に煽ったのは、お前だろう?」
今にも後ろに倒れてしまいそうな啓悟の身体を支えながら起き上がる。
啓悟の身体を抱えたまま身体を入れ替えて、藤堂は本格的に捕食にかかった。
「ひあっ、…あっ、ア、まっ…て…ッ」
「壊れたいって言ったのは、…お前だ」
耳元に低く吹き込んで、剛直を最奥まで突き込んだ。
啓悟の身体が瘧にかかったようにがくがくと震えると、裡が痙攣した。吐き出さずに絶頂を迎えた啓悟の敏感な部分を構わず抉る。
「いっあ…っ、やッ、待って…ッ、まっ、それッ、やらぁ、―――ァッッ」
絡みつく襞を掻き分けて弱い部分を熱の棒で擦り上げる。手ごと握り込んだ啓悟の屹立が一気に膨れ上がって、欲望を吐き出した。
どろりと指の間から白濁が溢れて啓悟の腹を濡らす。
サンディエゴに着いてからというもの、藤堂と啓悟は挙式の準備以外の時間を観光に費やした…はずはもちろんなく…。不健康な時間を過ごしていたことは言うまでもない。あっという間に時間は過ぎて、本当に最低限の準備だけで二人は挙式当日を迎えていた。
当日、大型のクルーザーの一室に二人の姿はあった。
客という客は、二人の他に証人となる啓悟の両親である篠宮征悟、小梢(こずえ)夫妻と、神父の相模だけだ。
「なんか緊張するな」
「そうか?」
衣装は、日本でオーダーしたものをこちらで受け取った。どちらも白いタキシードというのも妙だと啓悟が言い張るので、藤堂は黒のタキシードを着用している。
「そろそろ行くぞ」
「あ、うん…」
「どうした?」
「いや、やっぱり照れるなって…」
はにかんで俯く啓悟の手を、藤堂が握る。そのまま抱き寄せて、そっと額に口付けた。
「余計に照れるっつーの」
「緊張は解けただろう?」
くすくすと藤堂に笑われて、啓悟が小さく唸る。
「ほら、行くぞ。征悟さんも小梢さんも待ってる」
デッキに上がった二人を、征悟も小梢も笑顔で迎えてくれた。その横で相模も笑っている。
「おめでとう、啓悟。学君も」
「ありがとう母さん。なんか照れるけど…」
「何言ってるの、二人ともとても男前で、母さん惚れそうよ?」
そう言って小梢がにこやかに微笑む横で、すでに征悟はハンカチを目元にあてていた。
「もう、お父さんったら、泣いてないでお祝いの言葉くらいかけなさいよ!」
あまり体格の変わらない小梢に押し出されて、征悟が二人の前に立つ。
「うっ…、まさかこんな日が来るなんてねぇ…。藤堂君、息子を頼むよ…」
「はい」
「それと啓悟…」
「泣くなよ親父…」
ずるずると鼻をすすりながら呼びかけられて、思わず啓悟も苦笑を漏らす。
「ぅ…っ、だって啓悟が嫁にいく日が来るなんて…っ」
「嫁ってな……」
完全に新婦の父親と化してしまった征悟に思わず突っ込むと、デッキは笑いに包まれた。
「さぁ、それでは式を執り行おうか」
相模の穏やかな声に、藤堂は啓悟の手をもう一度握り返した。
ふたりが、相模の前に立つ。
祈りの言葉を聞いている間、啓悟はこれまでの事を色々と思い出していた。
男同士で付き合えるだけでも幸せだと思っていた。普通なら反対されるだろう家族にも祝福され、自分は本当に幸せだと思う。
隣に立つ藤堂をちらりと見やると、ちょうど目が合って、二人で微笑み合った。
たまに話をしながら式は進んでいく。それはとても楽しくて、とても幸せな時間だった。
この場にいる誰もが笑顔に満ちているのが、啓悟は嬉しい。
と、それまで英語で喋っていた相模が二人を促した。
「さあ、手を取り合って」
改めて向かい合う恥ずかしさに思わず俯いてしまう啓悟の手を、藤堂がしっかりと握る。
「Before God, and in the presence of this congregation, I ask you,Manabu. Will you take Keigo to be your partner to love her in times of need and plenty?」
「I will」
藤堂がしっかりと返事をすれば、相模は小さく頷いて微笑んだ。
「Before God, and in the presence of this congregation, I ask you, Keigo. Will you take Manabu to be your partner to love him in times of need and plenty?」
「…I will」
啓悟が照れたように小さく呟くと、握った藤堂の手に力が籠った。
相模が祝福の言葉と共に、誓いの言葉を藤堂に促す。
「I, Mnabu, take you Keigo, to be my wedded partner, to have and to hold, from this day forward, for better, for worse, for richer, for poorer, in sickness and in health, to love and to cherish, till death do us part, or the Lord comes for His own, and hereto I pledge you my faithfulness.」
「Manabu, I give you this ring, wear it with love and joy. I choose you to be my partner, to have and to hold from this day forward for better or for worse, for richer for poorer, in sickness and in health, to love and to cherish as long as we both shall live.」
英語のせいか、少しだけ早口に誓いの言葉を言い終えて安堵に小さく息を吐く啓悟を、藤堂が引き寄せる。
「うわっ」
「I love you.」
胸の中に倒れ込んだところを藤堂に囁かれて、啓悟の頬に朱が挿す。
幸せが全身を満たして、啓悟もまた藤堂を抱き締めて囁いた。
「I love you, too.」
END
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