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恋人は予想外!
その日、仕事を終えた藤堂学が自宅の玄関ドアを開けると、見慣れない靴が一足、綺麗に揃えられていた。今年三十八歳になる藤堂にしては些か若々しいデザインのその靴が、十五歳年下の恋人、篠宮啓悟のものである事は一目瞭然だった。
いつもであればコミュニケーションツールを使って何かと連絡を寄越す年下の恋人にしては、連絡もせずに待っているのは珍しい。
――相変わらず子供のような奴だな。
そう思いながらも頬が緩むのは、今日が藤堂の誕生日だからである。期待をしていた訳ではないが、いざこうして恋人が待っていてくれるというのは素直に嬉しい。それに、何かとサプライズを仕掛けるのが好きな年下の恋人が、今日に限って連絡を寄越さないのも微笑ましかった。
靴を脱ぎ、部屋へと上がり込んだ藤堂は明かりの点いたリビングのドアを何気なく開けた。
「啓悟、来て……ッ!?」
「「ハッピーバースデー!!」」
ドアを開けた瞬間、賑やかな声とともに爆竹にも似た派手な破裂音が鼓膜を叩き、言葉を途切れさせた藤堂は思わずその場に固まった。何事かと瞬かせた視界に、カラフルなペーパーテープや紙吹雪が舞う。
その向こうに、見知った顔の面々を捉えて藤堂の緊張は一気に緩んだ。
「びっくりした?」
「…ああ」
ニシシッとイタズラ好きの子供のような笑顔で問いかけたのは、もちろん啓悟である。その手には、中身のないクラッカーが握られていた。
啓悟のすぐ後ろに佇む友人たちの手にも、同じものがある。
「お邪魔しています」
「お誕生日おめでとうございます、藤堂さん」
「おめでとう学」
「ったく、なんだって俺までこんな真似をしなきゃならねぇんだよ」
須藤甲斐、安芸隼人、フレデリック《Frederic》に辰巳一意と、それぞれが好き勝手にコメントを披露する中、颯爽と寄ってきては照れくさそうに腰へと飛びつく啓悟を抱き留める。
「サプライズ成功?」
「そうだな。驚いた」
「やった!」
腰にぎゅうぎゅうと抱きついたまま嬉しそうに笑う啓悟の頭を撫でながら、藤堂は改めて友人たちへと視線を向けた。
藤堂が知る限りでも多忙な友人たちである。啓悟の頼みとはいえ、わざわざ時間を割いてくれたのかと思えば嬉しくない筈などなかった。
いざ改まって礼を述べるというのは些か面映ゆいが、藤堂は啓悟を抱えたまま微笑んだ。
「こう大袈裟に祝ってもらうような歳でもないんだが…、ありがとう」
歳を重ねることに喜びを感じるような年齢はとうに過ぎていると、そう藤堂が言えばフレデリックが笑った。
「お祝い事に年齢は関係ないよ。ね、啓悟?」
「そそっ。関係ない関係ないっ」
嬉しそうに賛同する啓悟はだが、フレデリックの顔を見て意地の悪そうな笑みを浮かべた。
「けど俺、フレッドはケーキが目当てだって知ってるもんねー」
「どうしてキミはそう可愛くない事を言うのかな、啓悟?」
にっこりと大袈裟な笑みを口許に張り付かせ、じりじりと圧を纏って詰め寄るフレデリックに啓悟は慌てて藤堂の背後へと回った。
「っ怖い怖いフレッド! 目がマジだって…!」
「うん? 別に僕は怒ってないよ?」
ひぃと情けない声をあげる啓悟に背中を押され、藤堂はあっという間にフレデリックと真正面から向き合うこととなった。思わず、互いに苦笑が漏れる。
「この辺で勘弁してやってくれフレッド。啓悟も、いい加減着替えをさせてくれないか?」
軽く肩を竦めて藤堂が言えば、フレデリックはふふっと可笑しそうに笑った。
「そうそう。学は着替えに行っておいで。その間に僕が啓悟をたっぷり可愛がっておいてあげるから」
にこりと微笑むフレデリックに、背中に張り付いた啓悟が上着の裾をぎゅっと掴む。
「え、ウソ…待って!? 置いてかないでよ藤堂!!」
フレデリックにがっしりと腕を掴まれた啓悟の情けない声がリビングに響き、友人たちの失笑を買う。
「そんなに怖がらなくてもいいだろう? 何も取って食ったりしないから安心しなよ」
「信用できないー!!」
頼みの綱である藤堂からあっさりと引き放されて、広いリビングに啓悟の絶叫が響き渡った。
些か後ろ髪を引かれる思いながらも、まさかフレデリックが本気で啓悟をどうにかするなどとは思っていない藤堂は、恋人の髪を宥めるようにさらりと撫でて部屋を後にした。
寝室の扉を閉めてもリビングから聞こえてくる賑やかな声をBGMに、スーツを脱ぎつつ苦笑を漏らす。早めに戻ってやるかと、藤堂はシャワーを諦めた。
藤堂がリビングへと続くドアを開ければ、フレデリックの腕の中でジタジタと暴れる啓悟の姿が目に入る。
暴れすぎたのか、辰巳に足をしっかりと掴まれた啓悟を隼人が心配そうに窺っていた。その横で、甲斐は呆れ顔だ。
長身のフレデリックと、日本人ながらも百八十後半の身長を持つ辰巳が相手では止めに入れる者もいない。広い部屋に余裕をもって配置された大きなソファが今にも倒れそうになっているのには参るが、騒ぎながらも楽しそうな啓悟を見れば藤堂とて咎める気にもなれなかった。
「何をやってるんだまったく…」
「あっ! 藤堂! 助けてッ!!」
苦笑を漏らす藤堂の声にすぐさま反応し、啓悟が伸ばした腕をフレデリックの大きな手が捉える。
「おっと。王子様に助けを求めようとしても無駄だよ」
「悪魔ー!!」
啓悟の叫び声は、躰をまさぐるフレデリックの手によってあっという間に笑い声へと変わった。どうやら擽られているらしい。
ひぃひぃと息を切らせながらも、耐えられずに笑い転げる啓悟はどう見ても嫌がっているようには見えない。
やれやれと溜息を吐いて甲斐の向かいに腰を下ろせば、隼人が水の入ったグラスを藤堂の前に差し出した。
「お水でよろしかったですか?」
「ああ、ありがとう」
「どういたしまして」
優雅と評するにふさわしい表情で微笑んだ隼人は、だがすぐさま心配そうに啓悟へと視線を向け、そして藤堂を見た。
「差し出がましいようですが…放っておいてよろしいのですか?」
「心配しなくても、そのうちあの男が飽きれば終わる」
「そう…ですか…」
今はフレデリックに付き合って啓悟と戯れているが、辰巳がいつまでもくだらない遊びを続けていられるとは思えない。喧しさの度が過ぎればあっさりとフレデリックを止めるだろうことは必然だった。
心配するなと笑みを浮かべる藤堂に、頷きながらも隼人は浮かない表情を見せる。と、甲斐が揶揄うように言った。
「そんなに心配なら、お前が助けてやればいいんじゃないのか隼人」
「ぇ…?」
「聞こえなかったか?」
「いえ…そうではないのですが……、その…遠慮しておきます…」
心の底から困ったように応える隼人を甲斐が冗談だと笑う。制止にでも入ろうものならば巻き込まれるのは必至。いくら啓悟の親友であろうとも、さすがの隼人にもそんな勇気はないようだった。
「藤堂さんは助けてやらないんですか? 放っておいたらあとで薄情者と大騒ぎされますよ? きっと」
「今助けたところでどうせ大騒ぎするさ」
「どうせ同じなら放っておくと?」
可笑しそうに笑う甲斐に小さく肩を竦め、藤堂はグラスの中身を飲み干した。冷たい水が喉に心地良い。
やがて予想通り、騒ぐのにも飽きたらしい辰巳が藤堂の隣にどっかりと腰を下ろす。まさか犬猿の仲である自分の隣に来るとは思っていなかっただけに藤堂は些か驚いた。
「隼人。酒」
「ビールでよろしいですか?」
「ああ」
傍若無人な態度はいつものことで、辰巳は他人を顎で使うことに何の疑問も抱かない。藤堂にとって辰巳は何かと癪に障る男である。もちろん辰巳の方も、同じように思っているに違いないのだ。
どうして隣に…と、そう思っていれば隼人の声が聞こえて藤堂は視線を上げた。
空になったグラスを持ちあげながら問いかけられる。
「藤堂さんもビールでよろしいですか?」
「あ、ああ…、すまない」
ひとつ頷いて踵を返した隼人は、すぐさまキッチンへと入っていった。
「はぁー…あっちぃ…」
はだけさせた胸元を片手で揺らし、ぱたぱたと風を送り込む辰巳に甲斐が呆れたように言った。
「あれだけ騒げば当然だろう」
大人げもないと、口には出さずとも態度で語る甲斐を辰巳がじろりと睨む。
「うるせぇよ」
そうは言うものの、辰巳に反論のしようがないのは明らかだった。折よく隼人が差し出したビールに手を伸ばし、豪快に瓶を煽る辰巳の喉元が音をたてる。それは隣に座る藤堂の耳にも届いた。
辰巳という男はいついかなる時でもマイペースで、他人に気を配る事もない。まるで自分を中心に周囲の人間が動くことを当然だとでも思っているような節がある。何故こんな男をフレデリックが好むのか、それは藤堂にとって永遠の謎だ。
辰巳が離脱しようとも、フレデリックの啓悟遊びはしばらくの間続いていた。さすがに啓悟の息も絶え絶えになり、見ている方も些かしんどさを感じ始める。
いい加減止めに入ってやろうかと藤堂が口を開きかけるゆり僅かに早く、隣から辰巳の低い声が部屋に響いた。
「おいフレッド、いい加減ガキで遊んでんじゃねぇ。てめぇいつまで人に火ぃ点けさす気だコラ」
火の点いていない煙草を咥えたまま、がなる辰巳に甲斐がくすりと笑いを零す。
「まったく、素直に啓悟を解放してやれと言えばいいだろうに」
「ああ?」
「天邪鬼というか、不器用というか…」
呆れたように言う甲斐にふんと鼻を鳴らし、辰巳は自ら火を点した煙草の煙を深く吸い込んで吐き出した。
「お前にだきゃあ言われたくねぇな」
笑えば食って掛かられるのは分かりきっているが、図星を指されて顔を背けるさまに藤堂が笑いを堪えていれば、案の定辰巳にじろりと睨まれる。
「笑ってんじゃねぇよ」
「はいはいそこまで。お転婆な姫のお届けですよ王子様?」
辰巳の低い声を遮るように、朗らかなフレデリックの声が聞こえたかと思えばドサリと藤堂の膝の上に啓悟が落とされた。唐突な荷重に思わず呻き声をあげる藤堂を、辰巳が鼻で笑う。
「僕は、ここでいいのかな?」
藤堂が何かを言う隙もなく、今度はフレデリックが辰巳の膝の上にちゃっかりと腰を下ろす。当然、その行為に文句を言ったのは辰巳である。
「ざけんな阿呆。ちっとはてめぇの体躯考えろって言ってんだろぅがッ」
「ええ? だって啓悟だけラブラブなんて狡いじゃないか」
膝に乗ったフレデリックを押し退けようと腕を突っ張る辰巳をものともせず、自称”辰巳のお嫁さん”は旦那様にしっかりとしがみ付いていた。
隣で繰り広げられるコントのような遣り取りに、藤堂の腕の中で啓悟が笑う。
「あははっ、辰巳さんの顔ヤバいっ」
腕の中で腹を抱えて笑う啓悟につられて辰巳を見れば、これ以上ないほどのしかめっ面だ。だがしかし、フレデリックが離れる気配はなさそうだった。
「何をやっているんだまったく…」
「まったくだ。本当にお前たちは大人げがない」
呆れたように呟く藤堂に賛同の声をあげたのは甲斐だ。が、やれやれと首を振る甲斐は一瞬のうちに隼人の膝の上に移動させられていた。
「ッ!?」
「私が甲斐の上に座る訳にはゆきませんので…」
何故かほんのりと頬を染めて隼人が告げる。その腕の中で、甲斐は堪らず顔を覆った。
「うわー、甲斐さん耳まで真っ赤じゃん」
「っ…うるさいぞ啓悟…」
「ははっ、甲斐さんて案外照れ屋だよね」
屈託なく笑う啓悟に悪気がないのはその場の誰もが分かっている。だが、甲斐の性格からすれば堪ったものではないだろうと、藤堂は苦笑を漏らした。
「あまり揶揄うな。お前と甲斐はタイプが違うんだからな」
啓悟の耳元で低く囁けば、腕の中の年若い恋人はぺろりと舌を出してみせた。
賑やかな夜はあっという間に更け、藤堂の自宅はようやく静けさを取り戻していた。男ばかりで飲み食いしていたにもかかわらず、隼人が気を利かせたおかげで部屋は綺麗に片付いている。
「はぁー…、楽しかったー!」
ソファにごろりと寝転がり、伸びをする啓悟に苦笑を漏らす。少しゆっくりしようと淹れたコーヒーをテーブルに置いて、藤堂は啓悟の足元へと腰を下ろした。
「なんでそんな離れて座んの…」
「空いている場所に座っただけだ、拗ねるなよ」
藤堂は言いながら圧し掛かり、そのまま躰を抱え上げて膝の上に啓悟の頭を乗せた。
「これなら文句ないのか?」
「……あるよ」
このうえなく不服そうに呟く啓悟に再び苦笑を漏らし、藤堂は膝の上の黒髪を撫でる。
「何が気に入らないんだ?」
「だって藤堂、いつもと態度変わんないし。楽しくなかったのかなって…思って」
「分かりにくくて悪いが、これでも楽しんでいたから安心しろ」
「本当に?」
「ああ」
頷けばきつく腰に抱きついてくる啓悟を抱え上げる。膝の上に座り、視線を合わせればへへっと照れたように啓悟は笑った。
どちらともなく合わせた唇を深く貪り合う。藤堂が好き勝手口腔を舌先でまさぐっていれば、啓悟の手がドンドンと背中を叩いた。
「どうした」
いつもであれば止めることなどない啓悟の制止に、藤堂が動きを止める。
「ちょっと待ってて」
「うん?」
するりと腕を抜け出した啓悟は一度寝室に入り、すぐさま藤堂の膝の上へと再び陣取った。その手には、シンプルなペーパーバッグが携えられている。
「これ、ちょっと時間過ぎちゃったけど…誕生日プレゼント」
壁に掛けられた時計を見上げながら啓悟がはにかむ。おめでとうと、そう言いながら手渡されたバッグは思ったよりもずっしりとしていた。
「ありがとう。開けていいか」
「もちろん。気に入ってくれるといいんだけど…」
「お前が俺のために選んでくれたんだ、気に入らないはずがない」
「っ…」
藤堂が言えば、顔を真っ赤にした啓悟がソファに顔を埋める。やがてくぐもった声が藤堂の耳に届いた。
「気障すぎ…」
「そのわりに喜んでるのはどこの誰だ。ん?」
もだもだと悶える啓悟を見下ろしながら、藤堂はプレゼントの包装紙をくるりと剥いた。中に入っていたのは洋書だ。
「これは…」
読書家であり、ちょっとした蒐集家でもある藤堂が、もう一年以上も探していた作家の初版本。出版部数も少なく、馴染みの古書店の店主でさえも日本には一冊もないのではないかと言っていたものだ。
「プレゼントに古本ってのもどうかなって思ったけど、ずっと探してるっぽかったから…」
「ああ、探してたよ。いったいどうやって手に入れたんだ?」
本の装丁を撫でる藤堂の顔に、喜びよりもむしろ驚きの表情が浮かぶのは致し方のない事か。本といえば雑誌か漫画と言って憚らない啓悟が、まさか希少な本を手に入れられるとは思いもしなかった。
「んー…友達に相談したら調べてやるって言われてー…、そんで見つかったから送ってやるって、送ってくれた」
先刻の照れっぷりはどこへやら、起き上がった啓悟がけろりと言ってのける。
「お前の交友関係には本当に驚かされるな…」
誰とでもすぐに打ち解けるのは啓悟の特技と言っていい。それも老若男女、国籍を問わずだ。時に近寄りがたいと言われる藤堂などからすれば、それは魔法のようにさえ思えるほどに。
「藤堂だって顔広いじゃん」
「ただ顔が広いのと、お前のように友人が多いというのではまったく別だ。現に、俺に手に入れられないものを、お前はこうして手に入れることが出来るじゃないか」
「確かに……?」
確かにと、そう言ったもののいまいち納得していない様子の啓悟に苦笑を漏らし、藤堂は本の表紙を開いた。読むともなくページを繰っていれば、啓悟が向かいから覗き込んでくる。
「どんな話なの?」
「まぁ、自伝のようなものだ」
「へー」
内容を聞いておきながらもたいして興味もなさそうな返事をするのはいつものこと。だからといってこのまま本を眺めていれば、啓悟の機嫌が悪くなるのは目に見えていた。
些か後ろ髪を引かれつつも本を閉じた藤堂を、物珍しげな顔で啓悟が見つめる。
「もういいの?」
「ああ」
短い藤堂の返事に、だが啓悟は何かを言いたそうな顔をした。
その表情のなんとも言えない奇妙さに、藤堂はくしゃりと啓悟の髪を撫でる。
「別につまらなかった訳じゃない。素直に喜んだらどうだ?」
「ぅぐ…」
「嬉しかったよ啓悟。ありがとう」
本を片付けてくると、部屋を出ようとした藤堂が振り返れば、撫でられた頭に嬉しそうに触れる啓悟の姿がある。
――まったく、純粋というか単純というか…。
呆れるほど分かりやすい恋人の姿を眺め、書斎に入った藤堂はくつくつと喉を鳴らした。本人に言えば拗ねられるだろうが、藤堂にとっては啓悟の純粋さが何よりも愛おしい。
怒り、笑い、拗ねる啓悟は感情を隠さない。思ったことを思うようにぶつけてくる。それが、藤堂にはこのうえなく心地良いのだ。
ともあれいつまでも書斎に籠っていれば啓悟が拗ねるのは必至である。週末の楽しみができたと、藤堂は素直に喜びながらプレゼントされた本を書架へと丁寧に仕舞った。啓悟の誕生日には、何を返して驚かせてやろうかと、そう思いながら。
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