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大広間に一族のすべての者が集められた。本来であれば主上がみえる今宵は宴席となるはずだった。広間の飾りはすべてとり払われ、みな喪服というわけにもいかず、着るものもとりあえずといった風で沈鬱に座っている。縦に長い畳敷きの広間では、最奥に当主・月水が座り、その左に長子・宵待が、右に正妻の氷が座っていた。春の家には正妻とふたりの妾の産んだ子が十二人いる。輝夜は正妻・氷の第四子で、前方の右手に座っていた。他にも親戚や外戚、それぞれが引き連れた葉名たちで、広間は人の気配に満ちている。アオジは入り口付近の、中心から一番遠い場所に座っていた。後ろには陽菜が暗い表情でひかえ、アオジの衣の袖を不安そうに握っている。
「それで」まず口を開いたのは、長子の宵待だった。「なにが起こったんです? なぜ星輝が夏の者に」
正妻・氷がすすり泣き、その声をかき消すように月水は言った。
「星輝は私と別で行動している間に、夏の者に殺された。だからこの目で現場を見たわけではないが、目撃した者の話では……夏がねらい斬ったのは、星輝本人ではなく横にいた葉名たちだったそうだ」
場がざわついた。戸惑う者もいれば、じっと黙りこむ者もいる。前方の輝夜は沈鬱な顔でうつむき、微動だにしない。長子・宵待は瞳を鋭く細めた。
「では、奴らの狙いは──……」
「わからん。そのことをここで詮議するつもりはない。ただ取り急ぎ決めるべきこともある」
月水はわざと話を遮った。大勢の前では話しにくいことも、人を選び詮議する内容もあるだろう。ただその話題変化は不自然で、怪訝と顔をしかめたのはアオジの周りに座る者たちだった──つまり春の家では末席の者だ。どうやらなにか知らされていない事情がある。前方に座る面々は沈鬱に口をつぐみ、当主の言葉を待っている。当主に近い者たちはなにか理由を知らされているのだ。そうでなければ夏の者に身内が殺されて、激昂もせずに静まり返っているのはおかしい。
「ここで決めるのは、星輝が消えたことで埋めるべき八十四体の葉名の穴埋めだ」
月水の言葉に年老いた重臣が悲鳴に近い声をあげた。
「八十四! なんとまあ、星輝さまはお若いのにずいぶんと無体を……!」
「なにをいまさら?」宵待が半眼で笑う。「この俺は百一体、そこの輝夜とて二十三体の葉名を有している。それとも大叔父、あなたは歳を重ねながら、我らより葉名が少ないのか?」
「なっ、──」
絶句する老齢の者たちが怒りの声を上げる前に、月水が「止めろ」と割り入った。
「子供たちの行いは私が命じたことだ。愚息の非礼は詫びるが、当家の方針についてここで論じるつもりはない。異論はあとで個人的に受けよう。それより、今は消えた葉名の穴を補充しなければならない」
しんと静まり返った一同を見渡し、月水はそれぞれに役割をふった。
「直系の子らはさらに二体ずつ葉名を作らせよう。私が十体、五体ずつ妻と、妾のふたりにつくらせる。残りを、ここに集う面々で補ってほしい」
広間には百人以上の人間が座っている。ぽつぽつと同意の声があがり、黙っている者の中には怯えた様子の者も多くいる。とりあえずの合意に達したとみて、月水は「アオジ」と急に話を振ってきた。勢いよくみんなの視線が下手へ集まる。アオジが身をすくめると、後ろの陽菜が大きくびくついた。
「今宵の主上のお渡りに葉名がいくらか足りない。お前の陽菜を向かわせたい」
「え……」
月水の言葉はやわらかいが、アオジに拒否権はなかった。陽菜を見れば弱り切った顔で「これはどういうこと?」と首を傾げている。彼には今ここで何が起きているのか、自分がどういう立場に立たされたのかも分からないのだ。
「お、恐れながら、陽菜は不完全です」
アオジは頭を下げ、助けを求めて輝夜を見た。目が合った輝夜は苦しげに顔をふせてしまう。もうどうしようもないと、輝夜は何かを決定的に諦めてしまったようだ。月水は苦笑する。
「心配するな。なにも陽菜を取って食うわけではない。お前も知るように、塔にひと晩送るだけだ。星輝が死んだことで葉名が足りず、主上の機嫌を損ねるわけにはいかない。それでなくとも今は頭数が足りないのだ」
駄々をこねるなと、月水の目は笑っていなかった。
「は、い……」
アオジは項垂れることしかできなかった。陽菜がそっと横から手を握ってくる。なにも永遠に帰ってこないわけでもない。むしろ塔へ上がるのは葉名にとり名誉なこととされている。多くの種を持ち帰れば、それだけその葉名は優秀とみなされ、産み出した人間の立場も上がる。塔へ自らの葉名を送り出す──春の家では誰しも行っていることだ。そう理解はしてもアオジには割り切れなかった。何体も葉名を産み出した他の者とは葉名の重みが違うのだ。アオジにとってはたったひとりの陽菜だった。そっと陽菜を窺うと、彼は必死に何度も頷いている。「大丈夫」とも「なんとかするよ」とも言っているようにみえる。アオジが落ちこんだ風なので力になろうとしてくれている。
「陽菜……」
彼に謝ることすらできなかった。ただ漠とした不安の中へ彼を投げ入れることに、抵抗できない自分を呪った。
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陽が落ち、田畑に虫の音がひびく夜、着飾った葉名たちは塔へと送り出された。きらびやかな黄色の羽衣に身をつつんだ陽菜は、見送るアオジのほうを振り返った。頭からかぶらされたうす絹が月明かりに淡く溶け、ゆるやかに風にはためいている。塔へ進みゆく葉名たちは思い思いの楽器や舞具を手に、うすい笑みを浮かべ歩いている。その中でも不安げな陽菜はひとり、ひときわ幼く哀れにみえた。
「大丈夫よ」
隣に輝夜がきて、むらさきに手をあげ指示を送った。陽菜の隣を歩いていたむらさきは、静かに頷くと陽菜を支え、前へ進ませる。アオジは塔へと歩き去る陽菜を、その姿が消えるまで見送った。部屋に戻ると、窓からは塔の全景がよく見えた。完璧な円を描く大きな月を背負い、主上のおわす塔の先端は光り輝いている。丸く大きな神鏡はここ一週間、もうずっと光りっぱなしだ。白い光が窓からさしこみ、アオジはどうにも眠れない。
陽菜が戻ってきたら、なにを話せば──聞けばいいのだろう? 大事はないか、異常はないか。中で何があったのか。怖いことはなかったか、不安にさせて悪かったと、そう謝る資格が自分にあるだろうか。文机の前に座り、窓から塔の先端の輝きを見つめていた。あそこに葉名たちが──陽菜がいる。
主上はどんな姿なんだろう。葉名たちと同じく人の姿で現れるのか。神はどこから、万物の源たる種子を運んでくるのだろう。
声もなくふんわりと笑う姿が、なにも変わらなければいい。落ちるような眠りはそのまま、アオジの意識を奪っていった。
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