大鏡

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 宵待とは結局、祭の当日まで会えなかった。宴席や葉名たちの準備で忙しかったのだろう。その姿をようやく見かけたのは、祭りがはじまる日の夕方のことだった。 「宵待様っ!」  黒の正服に着替えた彼は、横にすらりとした葉名のすみれを連れている。 「なんだ?」  振り返る彼は穏やかに接してくれたが、横のすみれの方が迷惑そうな顔をした。たぶん、これ以上余計な話をする時間が、宵待には本当にない。 「輝夜様のことで、すこし」 「悪いが急ぐ──歩きながら話そう。すみれ、では後で」 「はい」  うす青の透ける衣装を着たすみれは、軽く頷き建物の外へ出て行く。彼女はこれから他の葉名たちと壇上へ出る。その指揮をとるために、ひと足先に祭の会場へ向かったのだろう。 「アオジ、陽菜の方はどうだ?」 「あ、はい。なんとかなりそうです」  陽菜は他の葉名たちと一緒に、舞台へ出るために壇上近くで待機している。そばにはむらさきもいるから、滅多なことはないと思うが……。 「心配か?」宵待は見透かしたような笑みを浮かべている。「お前はすこしあれに過保護だな」 「はあ、あの……えっと、どちらへ向かっているんです?」  そろそろ祭りがはじまる頃合いだ。他家のもてなしに向かわねばならないのに、宵待は外の宴会場ではなく、建物の上階へ向かっていた。 「父上のところだ。輝夜のことだろう? ちょうどお前にも話そうと思っていた」  月水の部屋は最上階だ。歩き慣れているとはいえ、階段を一足飛びの勢いで登る宵待についていくのは大変だ。 「父上、宵待です」 「入れ」  中へ入ると、月水はちょうど身なりを整え終わったところだった。横についていた彼の葉名、紅香(べにか)とよもぎが、そっと一礼し部屋から出て行く。部屋には格子のついた大きな窓があり、遠くの山肌に沈みゆく太陽と、紫から紺に変わる途中の空が見えた。月水は窓辺に立ち、外の様子を眺めている。宵待がそっと口を開いた。 「父上。輝夜にはやはり、もう無理です。先日のお話ですが」  振り返った月水はアオジを見て、それから宵待へ頷く。 「そうだな、私から話そう。アオジ、輝夜は病なのだ」 「……そう、ですか」 「お前も薄々気づいたかもしれんが、あれは気の病だ。身体ではなく、心を鎮めることができなくなっている」 「なにかあったのでしょうか?」 「どうだろうな。想像でしかないが、星輝の死が尾を引いているのだろう。あれの死に一番驚いたのは、輝夜だったからな」  その説明には違和感があった。星輝が死んでもう半年になる。その直後こそ輝夜は衝撃を受けていたが、今もそれを引きずっているのだろうか? アオジには、輝夜が何か別のものに怯えている風にみえた。最近になって気づいたが、輝夜が葉名を見る目は明らかに以前とは変わった。前は家族に接するような親しさがあったのに、今はよそよそしく、むらさきや陽菜に対しても時おり恐れるような目をする。月水はそのことを知らないのか。伝えようかと迷っていると、ひと足はやく「それで」と月水が口をひらいた。 「輝夜の葉名を二十体ほど増やす予定だったが、それができなくなった。病の身に無理をさせるわけにもいくまいし」  二十体。それほどの葉名をいったいどこに使うというのだろう。星輝の死で失われた葉名はすでに補充され、それ以外でも一族はすこしずつ葉名を増やしている。このうえ二十体も葉名を増やしても、頭数があまるだけだ。 「アオジ、必要なことなんだ」宵待が決然と言った。「どうしても葉名を増やさなくてはならない。そうしないと主上は──」 「宵待」  月水にさえぎられ、宵待は押しこめるように言葉をのんでしまう。形にならなかった音が影を落とし、空気を重たくした。月水がため息でそれを動かしていく。 「アオジ、お前には輝夜の代わりに葉名を作ってもらいたい。一族の者はみな、少なくとも五体は葉名を有している。お前は陽菜だけでいいと考えるかもしれないが、体裁というものもある。これを機に、輝夜を助けると思って引き受けてくれないか?」  月水の声は懇願に近く、瞳は真剣な色を帯びていた。輝夜が病であること、そして月水の立場を考えれば、とても断れそうにない。たしかにこれまで自分には陽菜だけでいいと、そう考えてきた。時おり輝夜や月水から種を与えられそうになっても、一度断りきれなくて種を受け取った以外は、頑なに拒否し続けてきた。その受け取った種も、使わずに白いお守り袋に入れたままで、もてあまし気味に首から下げている。着物の下で揺れるそれは、枷のように常にアオジの鎖骨のあたりにあり、どうしようもない存在感を放っていた。月水の話を聞けば、どうやらそれはずいぶんと甘えた行いだったらしい。立場や身分の差から遠慮してきたが、月水は本当に葉名の数を増やしたいようだった。それなら遠慮などせず、最初からどんどん引き受けるべきだったかもしれない。 「ひとつ、お尋ねしてもよろしいでしょうか?」 「なんだ?」 「なぜ、そうまでして葉名を作るんです?」  春は人手に困っていない。田畑に恵みは多く、領地はうるおっている。これ以上葉名を作る理由はないように思える。ましてや、病気の輝夜にまで葉名を作らせようとするなんて、常軌を逸している。 「話したら引き受けてくれるか?」  アオジが頷くと、月水は褒めるように目を細める。 「葉名のことを調べるためだ。その実態や性質、主上とつながる仕組みを知る必要がある。そのために、もっとたくさんの葉名が必要なのだ」 「葉名を、調べているんですか?」 「我々の知識はあまりに少ない。葉名を産み出す手順はわかっても、それが実際にどういうものかは理解していない。人に混じらせ、人同様に扱ったところで、結局あれは人ではないのだ。それなのに生活は葉名に頼りきっている。もし彼らが主上から種をもらえなければ、田畑に作物は実らず、土地に雨を降らせることもできない。領地の民は病にあえぎ、みな飢え死ぬだろう。当主としては、それだけは防がねばならん」  月水の顔は苦悩に満ちていたが、嘘はないようにみえた。人ならざる葉名を調べることは、並大抵の苦労ではないはずだ。葉名は神聖なものとされているし、文献にはほとんど記されない。その存在を深く知ろうとすること自体が禁忌とされる風潮すらあった。当主自ら葉名を調べているとわかれば、一族の中には反発する者も出てくるだろう。 「でもどうして葉名を調べるのに、それほどの数が必要なんです?」 「詳しくは後で話そう。お前が新たな葉名を産み出すときに。ただ、今は宴の席へ向かわねばならん」  月水は大儀そうにため息をついている。気がつけば外は暗く、窓から月光が入りこんでいる。賑やかな楽の試し弾きの音と、宴席に集う人々の声も聞こえてくる。立ち上がろうとする月水を、宵待がそっと支えようとした。 「父上、お気をつけください。段差が」 「いや、いい。紅香」  呼ばれて入り口から月水の葉名、紅香がやってくる。着飾る彼女に片腕を預け、月水は葉名と寄り添うように自然に歩いていく。一連の動作を見てアオジは驚いた。月水は目が見えていないのだ。いつから──? 思い返してみてもよくわからない。話すときにも目が合うし、瞳の色も濁ってはいない。部屋を去っていく姿だって、視線をまっすぐに上げ、ただ葉名に寄り添っているだけにみえる。宵待の態度と段差をこえる一瞬の躊躇がなければ、気がつかなかったはずだ。月水がそれを隠そうとしているのは明白だった。 「後でな」  緊張した面持ちで宵待も部屋を出て行き、ようやく我にかえった。アオジもそろそろ行かなければならない。いくら末席とはいえ、遅刻するわけにはいかなかった。葉名作りのことも輝夜に伝えたいし、陽菜の様子も見に行かなければならない。月水たちとは別の廊下を進み、木の階段を駆けおりる途中、木格子の窓にふと目をとめた。外にまばゆい光が見える。主上のおわす塔のてっぺんにある巨大な神鏡は、いつもよりも煌々と光っていた。今夜は満月のはずだが、塔の光のせいで月が出ているのかもわからない。主上が塔へくるたびに、丸い神鏡はぎらりと輝きを増している。ここ数年、満月には必ず主上がくるので、春の者たちにはもう見慣れた光景になっていた。今夜の宴が終わってから、葉名たちはまた塔へ送られるのだろう。なぜ今日のような日に、他家を招く祭りを行うのか。忙しいのだから、せめて満月の頃を外せなかったのかとも思うが、陽菜が塔に呼ばれなくなったので、アオジには関係のないことでもあった。それよりも、これから陽菜が出る宴席の方が不安だった。かなり練習していたし、大丈夫だとは思うが──。陽菜が無事に曲を奏でられるのかと、胃が縮む思いがした。
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