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母屋に移り住んでから三か月になる。
無人の離れは、取り壊すにも金がいるというのでそのままにしているらしい。らしい、というのは、そういうことに私が全く蚊帳の外だったからで、父も母も嫌いだからとひとり家に残った中学生の孫娘は、祖母から見ればまだ十二分に子供のようだった。今日もたぶん、母か、でなければ弁護士の叔母と難しい話をしに行くのだろう。
思いながら私はまた一口、薄いレモネードを飲んだ。お湯みたいな味がした。
飲み終えてゆっくりとカップを置いて、その時だ。カンカンとお囃子の鉦のように軽やかな高い音。私は急いで立ち上がる。それはおじいちゃんがひとを呼ぶ時の音なのだ。
「どうしたの、おじいちゃん!」
駆けつけた部屋でおじいちゃんは、しわくちゃの手でつくった拳をベット脇の缶箱の上で持て余しながら、こちらを見ていた。
「おめいか」
十五の子供が駆けた後の床は、築五十年の乾きでまだキシキシと音を立てている。
「なんだ、ばあちゃんどこ行きゃがった」
おじいちゃんはそれから卓袱台の上の小さいホワイトボードに目を付けて、
「何て書いてある」
「久美子の家へ出かけてきますって」
「何か用だったのか。」
私は今度は答えない。今日は叔母の方へ行ったのか、と心の中だけでそう思っている。
「知らねえか」
「うん、知らない」
「そうか」
そうっと顔を背けて嘯いていると、おじいちゃんは一人で納得したらしく「また直哉のやつが酒でも飲んで暴れたか」と小声でつぶいやいてその話題はそれきりにした。
「牛乳入れてくれ」
おじいちゃんは湯呑みを差し出した。どうやらそれで呼んだらしい。しかし私が近づくと、
「お前、腹へってねえか」
唐突に言う。おじいちゃんはちらと時計を見て「もう七時になんだろ。まだ夕飯食ってねえんなら餅でも焼いて食え」と続けた。
今日のおじいちゃんは私のことは覚えていたが、私もこの家で生活しているということは忘れているようだ。つい一時間ほど前に一緒に夕食をとったばかりなのである。とはいえ腹にはたっぷりと空きはあった。お粥と少しのポテトサラダというのは十五の私には消化が良すぎる。
彼の手から湯呑みを抜き取って、台所へ向かった。
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