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紅色の彼方
肌寒さをかんじてコートの襟を狭める。
秋も末に入り、朝方の外気が身に沁みるようになってきた。風の鳴き声が耳を抜けては身を屈める。
紅葉を見に行くことに異論はない。好きでも嫌いでもなく、とうに習慣と化した出来事だった。
習慣と出来事を同列に扱うのは妙かもしれない。日常の無味淡泊さのなかで非日常が描かれるから出来事として区別できるのだから。
だから紅葉を見に行くこと自体はすでにわたしのなかで咀嚼され切っていて、噛み締めることの楽しさを通り越したのだろう。それでもなお飽きとして認識されないのは、まだ特別な意味合いを残しているからだ。
それでも、いつまでこのことを繰り返しているのだろうという、疑問の残滓は持ったままだった。
そんな疑問を身の内に宿してから、まだそのことを繰り返し考えている。終わりない設問。答えが得られることはあっても、おそらくそれは遠い。
紅葉というと秋の風物詩であるように語られているが、実際に見頃を迎えるのは十二月を間近に控えてからになる。身を震わせる寒気の訪れとともに、自らの名を残すように木々は葉々を色づかせ主張する。そして存在の欠片を散らして眠り続ける。
どこに向かえばいいのだろうと、索漠とした気持ちが訪れることがままある。どこに向かうこともないのだろうと自問して片付けては日々を生きている。
張りがなくなった、とたとえればいいのだろうか。若さという言葉で片付けるには微妙な年齢になったのもある。こんな思考を続けていることがなによりの証左だ。
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