yagami 1

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 あの事件以来、八神はずっと女性が怖く、口もきけなかった。ただ、一度だけ、どうしても断ることのできないお見合いを親戚から強制的に押しつけられ、渋々女性と付き合ったことはある。彼女は、今時珍しいとても純朴な優しい女性で、こんな八神のことを「好きだ」と言ってくれた。八神は自分への彼女の好意をとても有難く感じた。八神も好きだから嬉しいというのではなく、こんな八神を好きになってくれて申し訳ないという、謝罪のような感謝のような気持ちに近い。だから八神なりに努力し、彼女と上手く付き合っていこうとした。でも、八神には絶対譲れないものがあって、それを彼女は最後まで理解してくれなかった。八神的には気を使って、ずいぶん我慢していたつもりだったが、八神が、今日は読書をしたいから会えないと言うと、彼女は決まってヒステリックに八神を罵った。そして、最後には、「あなたみたいな変な人とは付き合えない」と別れを告げられる。 変? どこが? 自分は読書が、本が好きなだけだ。どこもおかしくなんかない。好きなことに没頭したいという欲求が人より少し(否、少しではないかもしれないが……)強いだけで、どうして変人呼ばわりされなければならないのだろう。世間一般の価値観や常識と食い違うことがそんなにも罪なことなのかと……。  彼女とは数ヶ月で別れた。八神にとってはかなりの苦行だったが、童貞を捨てられたことだけは奇跡のような幸運だったかもしれない。でも、彼女との性行為は正直あまり気持ち良くはなかった。性的興奮というよりは、ただただ童貞を捨てたいという意志で動くロボットのような自分を、ひどく冷めた心で傍観しているような感じだった。彼女は普通に可愛かったけど、だからといって八神の胸を熱くさせる何かを感じ取ることはできなかった。  女性と付き合ったのはその一度きり。結局今日まで、八神のコミュ障は何ら変わらず、人生が一変するような成長も見受けられず、こうやってカウンターに並ぶ利用者に恐れながら、びくびくと小動物のように震えている始末なのだ。 (あれ?)     
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