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桜人
「綺麗だな」
彼は、目線よりやや高いところにある桜の花を見つめて言った。
まだ若木なのだろう、幹も枝も頼りないまでに細い。
けれど、薄桃色に咲く花はいっぱしの桜だった。小ぶりで可憐、そのナリで人の心を瞬時につかむ。
彼は、肉付きの薄い手をすっと宙に伸ばした。着物の袖が伝い落ちる。お世辞にも筋骨たくましいとは言えない腕があらわになる。
俺は、その手が愛しげに桜の花に添えられる前に、横からつかんだ。
「ほんとにね」
「おい、」
桜の枝に負けず劣らず細い指を4本まとめてつかみ力を込める。握った下はすぐに骨、肉らしい肉はほとんどない。かさついた肌には細やかな皺が見て取れた。
「辞めろ、人が見る」
とっさに引き抜こうとするそれを、力で引きとどめる。
なるほど、満開の週末とあって、辺りは仏寺の庭に咲き誇る桜を愛でようという女性客やカップルらでにぎわっていた。
いくら引いても俺に放す気がないと悟ったのか、彼はきつく尖らせた目で俺を睨んだ。
「放せ」
「なんで?」
「いいから、放さないと今すぐ帰るぞ」
「それはもったいない。せっかく着物まで着たのに」
「どこが、」
「よく似合ってるから」
「似合ってなんか、」
そのとき、横から控えめな声がかかった。
「あの、写真撮ってもらっていいですか?」
声をかけてきたのは、着物姿の女性二人組みだった。
旅行社のプランなのか地元の観光PRの一環なのか、この時期の古都には着物姿の観光客が多い。ただ街を歩いていても、今風の柄、今風の配色の着物に身を包んだ女性によく出くわす。
この二人も観光客なのだろうか。片手にカメラ、やや上目遣いに見上げてくるその子はなかなかに可愛い顔をしていた。
「いいですよ」
俺は軽く請け負い、桜の木を背景に1枚写真を撮ってやった。
二人組みは高く甘い声で礼を言うと、意味深に肩寄せ合い笑い合い立ち去っていった。
「……だ……」
「なに?」
その背中をしばし見送っていた俺は、彼のもらした言葉を聞きそびれた。
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