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「仕事はまあまあ一区切りってとこだな。来週も忙しそうだ。だからサインは、まだしてねえよ。…そもそも、サインってのがな…。有名人でもないのに、しかも家族にサインって、恥ずかし過ぎだろ」
洸野から目を逸らして、青見が顔を擦る。その頬が、微かに赤い。本気で照れているのだ。
「断ったの?」
洸野が目を瞬く。
できれば、これをきっかけに、青見には家族と向き合って欲しかった。
「いや…今は、忙しいからって、言った」
このヘタレ。
洸野は目を眇めた。
逃げているのだ、絶対に。家族とどう接したら良いかわからず、戸惑いから、腰が引けているのだ。
洸野の怒気を察して、青見が目を逸らしたまま顎を掻く。
「今すぐ電話して、行く約束しなよ。待ってるよ、その子」
「いや、忙しくてな。そんな時間は」
「女の子待たせてんだよ。何言い訳してんのっ。自分の名前ぐらい、五分もあれば書けるだろ」
鼻息荒く洸野が叱る。青見が眉尻を下げた。
「オマエ…女には妙に優しいよな。やっぱ、ロリ…いや、何も」
洸野の目が光ったのを見て、青見が言葉を途切れさせる。渋々といった様子でスマートフォンを取り出し、立ち上がって、洸野から距離を取った。
溜め息を二つして、青見は通話ボタンを押した。すぐに相手が出る。それに戸惑ったように語尾を揺らしながら、青見は父親と話す。腕を組んで見守る洸野をちらりと見ながら、来週実家に行く約束を取りつけた。
「それじゃ。…いや。…またな」
電話を切り、青見が困ったような表情で洸野を振り返る。
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