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洸野は背もたれに、身体を預けた。誕生日おめでとう、と日世子に送り、少しの遣り取りをしてスマートフォンをしまう。会えなくなったことより、仕事で忙しい彼女の体調が心配だった。先々月など、ひどく顔色が悪く、デートを中断したくらいだ。
ふと隣を見ると、青見がスマートフォンを前に、小さく息を吐き出していた。どうやら向こうも連れが来なかったようだ。青見が窓枠に頬杖を突いて目蓋を閉じた。
青見とは反対の方を向いて、洸野は席に深く掛け直す。
駅についたら、ホテルを探して歩き回ることになるだろう。少しでも身体を休めたかった。
ステンレス製のエントランスを潜る。ガラス扉を抜けると正面に小さなカウンターがあった。手前に受付と書かれた木の札と呼び出し用のベルが置いてある。人一人が通れる程の通路を挟んだ奥には、白いレジが鎮座していた。
洸野はベルを押し、従業員を待った。たいていのチェックインが済んだ頃だからか、なかなか来ない。狭い空間で、特に眺めるものもない。もう一度ベルを鳴らしたところで、 背後で扉が開く音がした。洸野は振り向いた。
青見が洸野を睨みながら、入ってきていた。そこへ寝ぼけ眼の従業員が来た。
「部屋を一つ」 青見が従業員にきっぱりと告げ、慌てて洸野も部屋を頼む。よれた制服を着た従業員が、名簿を手に、二人の顔をちらりと交互に見た。
「お部屋はぁ、一つしか残ってませんので。お先の方に」
従業員が顔を上げ、青見を案内しようと手を向ける。
「ちょっと待て、俺が先だ」
慌てて割り込んだ洸野の肩を、青見がぞんざいに押した。
「オマエはぼーっと突っ立ってただけだろう。俺が先約だ。…チップだ」
一万円札を青見が従業員に突き出す。
このホテルを逃したら、後がない。二十四時間営業の店まで、タクシーでさまようだけだ。
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