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「え?明治時代に8個の村があって、それが合併して八柱村になり、八柱市になったと、広報に書いてあったぞ」
だいぶ前に読んだ市の広報誌を思い出しながら、私は言った。
「そうね、確かに8個の村があって統合したのも事実よ。でも、人柱が語源だなんて、誰も信じないないし、郷土資料館にだってそんな記録はないと思うよ」
「そりゃそうだ」
論議は続きそうだったが、風呂場でごとんと音がして、私たちは思わず目を合わせた。
「なに、今の音?」
女房の顔がさっと青ざめた。
「見に行こう」
ふたりで浴室に向かった。
私は慌てて浴室を飛び出していたから、ドアは開けっぱなしである。
シャンプーや入浴剤の匂いがたちこめていた。ほんわりと温かな湯気も漂っている。
恐る恐る、中をのぞきこんだ。
何もなかった。あの髪の毛も消えていた。
普段と変わらぬバスルームの光景だった。
「いつも通りね」
女房が安堵したのか、大きく息を吐いた。
私は例の髪の毛が気になっていた。すみずみまで見渡したが、それらしい長い髪の毛は一本も見当たらなかった。
「体が冷えちまった。もう一度入り直すから、理香も一緒に入ろう」
私は彼女を誘った。
女房はうなずき、その日は一緒に入浴することになった。
風呂に入っている間、とくべつに変わったことは起きなかった。
いや、本当は気がつかなかっただけだ・・・・
数日後の日曜日。
異変に気がついたのは女房の理香だった。
場所はやはり浴室である。
「鏡の位置がずれてるんだけど、あなた、動かした?」
理香の呼ぶ声がしたので、私は読みかけの雑誌を閉じて、浴室へ向かった。
バスルームでは、鏡が止め金で固定されているはずだが、それが右側へ2センチほど移動していたのだ。鏡のずれた跡がくっきりと黒く残っている。
「いあ、おれは動かしてない」
「じゃ、誰がやったの?気味悪いよ。まさか、バスルームのおかよさん・・」
「ん・・・?」
そのとき、私は風呂場の奥から風が吹いてくるのを感じた。
どうも、ずれた鏡の隙間から吹いてくるようだ。
しかし、浴室の隣はトイレのはず。
鏡に顔を近づけると、なんともいえない湿った生臭いにおいが、鼻をついた。
鏡に触り、少し動かしてみた。
ず、ず、ず、ず
1センチ、2センチ、3センチ・・・
重くひきずる音が、浴室に響く。
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