八柱の家

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    3  市役所の担当者は困惑の表情になった。  私たちが、幽霊の話を持ち込んだからだ。 「そういった類いの相談を持ち込まれましてもねえ」 「困った事の相談にのりますって、書いてあるじゃないですか」  私は、天井からぶら下がっている案内ボードを見上げ、食い下がった。 「そうですよねえ」  役所の担当者は苦笑いしながら首をひねった。しばし思案顔だったが、ぱんと軽く手を叩いた。 「そうだ、思い出しました。市が運営している高齢者の介護施設に、語り部さんが、いらっしゃるんですよ。その方に相談してみたらいかがですか」  語り部というのは、民話や伝説をデジタル機器に頼らず、口頭で現代に語り継いでいく人ことである。口承伝承ともいう。 「たしか、奥沢夏子さん。会えるかどうか、今、アポイントとってみますね。ちょっとお待ち願えますか」  担当者は十分ほど席をはずした。 「お待たせしました」  戻ってくると、窓口のカウンターテーブルに地図とパンフレットを置いた。パンフレットには、「八柱に伝わる昔話」とある。柿の木とカニの挿絵が印刷された子供向けの冊子だった。 「奥沢さん、お会いになってくれるそうですよ。足が不自由でしてね、車椅子生活ですが、とても元気だそうです。今年で九十五歳です」  私は担当者に礼を言って、地図とパンフレットを受け取った。      4  奥沢さんは介護士といっしょに、エントランスで待っていてくれた。  奥沢さんは超高齢者には見えないほど元気だった。肌のつやも健康的で、眼鏡の奥の眸は理知的で、若い人のように光沢があった。  ロビーに通されると、私たち夫婦は自己紹介と事件の顛末について説明した。 「はいはい、ああ、その話ねえ・・・・知ってますよ。でも、まさか、あなたたちの家におかよちゃんの柱があったなんて・・・それは初耳」  奥沢さんは何度もうなづきながら、怪談の云われを話しはじめた。 「それはそれは残酷で可哀想な話なのよ・・・」  江戸時代の終わりも近い、文久2年。  平三郎とおかよのめおと(夫婦)が、八柱町が誕生する以前の村に住んでおったそうな。平三郎は乱暴者で大酒飲み。おかよは身目麗しく才は長け、まさに月とすっぽん。長い髪はことに美しく、まさしく、みどりの黒髪であった。  あるとき、村で大火が起きた。おりしも風の強い日で、またたくまにあまたの家が焼きつくされた。
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