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 燦々と照りつける昼間の暑さを耐え抜いた先に待つ夜の涼しさ。控えめな風が身体を横切っていく。ぽつぽつと灯る街灯の頼りない光の下、静かすぎる夏の夜、僕は歩き慣れた道を一人こつこつと歩く。  サンダルが道を踏みしめる音が夜に響く。何度この道を歩いた事だろう。いつものように浮かぶ言葉。時間は着々と流れた。自分にとって同じ夜が、同じではなくなり、なくなった同じが、ようやく新しい同じになり始めていた。   「――」  ぐいっと手にした清涼飲料水のペットボトルを口に運ぶ。すっきりとした味わいが喉から体内を癒していく。  思わず名前を呼びそうにある。いけない。なんだかそれはいけない事のように思えた。  僕が呼んではいけない。ふとした僕のこぼれた言葉で、もしもその言葉が届いて、僕の元に駆け寄って来てしまったら。それは、幸せではないし、きっと良くない事だ。  その姿が見たい自分ももちろんいる。願えば叶うなら、僕は地べたに頭をこすりつけ懇願するだろう。でも、そんな事を考える事も良くはないのだろう。    僕の足音。夜の中で鳴る足音は僕のものだけだった。  でも、少し前までは違った。僕の前を楽しげに歩く、もう一つの存在があった。  そこに何もいないはずなのに、振り返って僕の顔を見る姿、まるでそこにいるかのように鮮明に浮かび上がる。 「――」  言葉にはしない。でも心の中では呼び続けている。  ――コロ。  ずっとお前の事を呼んでいる。  僕の愛しい愛犬の名を。   * 「名前はコロにしよう」  僕の意見に父も母も姉も異論は一切唱えなかった。  ころころしてるからコロ。単純な名前だったが、目の前の小さくふわふわしてころころした見た目にはピッタリの名前だと僕も家族も思ったのだ。  ふらっと訪れたペットショップのケージの中にいた一匹の秋田犬に、僕達家族の心は一撃で打ちのめされた。その日、まさか家族が増えるだなんて誰も思っていなかった。なのに一目見た瞬間、皆の意見が言葉もなく一致した。 この子を新しい家族として迎えようと。  それが、コロとの出会いだった。
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