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辰巳一哉(たつみかずや)× 峰岸諒一(みねぎしりょういち)
一気に悪くなった視界の中、諒一と一哉は互いに顔を見合わせた。フレデリックから『遊びに行こう』と招待状を手渡されたのは、一カ月ほど前の事だ。
「なあ諒一様よ。これは…、自力で部屋までたどり着かない限り脱出できねーってヤツか?」
「それか、朝まで徘徊するかじゃないか?」
「マジかよ…」
ボソリと一哉が呟くのは尤もで、一度だけ一哉はこの船に乗った事がある。その規模の大きさを考えれば、溜息しか出てこない。
「どんだけデカいと思ってんだよこの船」
「一哉は乗った事があるのか?」
「一回だけな」
「俺は…初めてだ」
何故か赤くなって俯く諒一に、一哉は怪訝な顔をする。いったい今の会話のどこに頬を染める要素があったのかと。一哉と諒一が付き合い始めて半年。まあ私生活では色々ある。
辰巳の顧問弁護士以外にも諒一にはクライアントが居るし、組長のくせにフレデリックとともにしょっちゅう姿をくらませる辰巳のせいで、若頭の一哉の仕事は案外多い。だから今日は、久し振りにゆっくりできると、そう思っていたのだが…。
「部屋に辿り着けなかったら徹夜じゃねーかよ…」
思わず一哉の口をついて出る不満に、諒一が小さく笑った。
「一応案内図も渡されているし、確認しながら行けば大丈夫だろう」
「そんじゃ、諒一様に任せるわ」
さらりと放り投げて早く行けとばかりに一哉が顎を軽くしゃくる。小さく肩を竦めた諒一は、だが歩き始めるでもなく渡されていた案内図をその場で開いた。紙の上を、細い指先で辿る。
「現在地がここだから、船室のある層は一階下か…一旦グランドロビーに出てから回った方が迷わなそうだな」
ブツブツと呟きながら経路を頭に入れる諒一を見下ろして、生真面目な幼馴染らしいその姿に一哉はふっと顔を綻ばせる。昔ほど感情を顔に出す事がなくなった幼馴染はどこか楽しそうで、それを見ているだけで一哉の心は癒された。
やがて顔を上げた諒一が、顔を赤くして視線を彷徨わせながら一哉の腕をとる。その様子がなんとも可愛くて、一哉は思わずその顔を覗き込んだ。
「諒一様よ。そんな可愛い顔されると、キスしたくなる」
「……ぃぃ」
「あん?」
「…しても…いい」
きゅっと目を瞑る諒一の唇を一瞬だけ奪って、微かに震える手を一哉は握り返した。
「行くか」
「…うん」
通路に出ても薄暗さと視界の悪さは変わらずで、一哉は小さく息を吐いた。いくら諒一でもこれではさすがに迷うんじゃなかろうかと隣を見れば、僅かばかり険しい顔がある。不意に、昔遊びに行った遊園地で諒一がお化け屋敷だけには絶対に近付こうとしなかったことを思い出す。
「そういやお前、ガキん時からお化け屋敷には絶対入んなかったよな」
「うっ…」
「苦手かよ?」
小さく頷く諒一が、その手にじんわりと汗を浮かべていて思わず苦笑が漏れる。一哉はもう片方の手でそっと握られた手を解くと、諒一の腰へと腕を回した。半ば抱えるように反対側の手を握ってやる。
「一哉…」
「とりあえずグランドロビー行きゃあいいんだろ? 怖かったら目でも瞑ってろ」
そう言って諒一を抱いたまま一哉は歩き出した。シアタールームに来るときに通ったルートなら一哉も覚えている。取り敢えずひらけた場所まで行ってそこからの経路を確認すればいいかと、不気味な効果音が流れる通路をゆっくりと歩いていく。
悲鳴や大きな音が聞こえる度に諒一が肩を強張らせるのがわかって、一哉は宥めるように髪を撫でた。
「お前、音が苦手?」
「う…ん…」
「んじゃ耳塞いとけば?」
「聞こえないのは聞こえないで、周りの状況が分からないから嫌だ…」
拗ねたように言う諒一が一哉には可愛すぎてどうしようもない。まあ好きなようにさせておけばいいかと、腰を抱いたまま進んでいけば、ようやく最初の目的地であるグランドロビーが見えてきた。広くひらけた空間に、だが安堵したのも束の間、何やら結構な人の気配に一哉は眉を顰める。
「なあ諒一様よ。お前、苦手なの音だけか? 見んのは平気なのかよ?」
「っ…あまり…見たくはない…」
「あー…したらここは通らない方がいいかもな…」
困ったような一哉の声に、おずおずと顔を上げた諒一がビクリと肩を震わせるのがはっきりとわかる。それもそのはずで、視界が悪いながらも広いロビーには幾人もの特殊メイクを施したスタッフがウロウロと彷徨っているのがうっすら見える。
「他に下に降りれる通路はねぇのかよ?」
「あるけど…真逆だ…」
とりあえずロビーが見えない位置まで戻り、諒一が一哉の腕の中で再び案内図を広げる。だが、経路を確かめようとした瞬間、一哉の声とともに諒一の手から案内図が取り上げられた。思わずそちらを見て、諒一がふらりと後ろに下がる。というより、よろめいた。
目の前には、小さな子供が立っていた。だが、その顔は半分が爛れたような、かなりリアルな特殊メイクが施されていたのである。
「うっわ、すげーリアル」
「Trick or Treat」
「あ?」
些か言いにくそうに呟く子供に、一哉の口から自然と胡乱気な声が漏れた。それに怯えた訳でもあるまいが、さっと踵を返した子供に、諒一が慌てて声をかける。案内図を持っていかれてしまったら、船室まで辿り着ける自信がない。
『待っ…アメ! 飴なら…あるから…!』
ピタリと止まり、ゆっくりと振り向く子供の顔は作り物と分かっていてもやっぱり不気味で、諒一は視線を彷徨わせながらポケットから飴玉をひとつ取り出した。
「一哉…これ…」
「んあ? ああ…渡したらいいのかよ?」
「たぶん…」
壁に背中を張り付けたまま震える諒一の手に乗った飴玉を一哉は受け取り、子供の前に差し出してやる。
『これやるからそれ返せ』
ぶっきらぼうな一哉の言葉に些か怯えながらも、子供は飴玉を受け取ると大人しく案内図を代わりに乗せた。その頭を、一哉はニッと笑ってわしわしと撫でる。
『ありがとな』
立ったままの一哉を見上げ、子供がにこりと微笑む。否、微笑んだのだろうがメイクのせいでそれはいびつに歪んだだけで、一哉でさえも内心たじろいだ。諒一が見たら腰でも抜かすんじゃなかろうかと苦笑を漏らす一哉の前から、あっさりと踵を返した子供が走り去っていく。
一哉が振り返れば、諒一はぺたりと床に座り込んでいた。
「大丈夫かよ?」
「一応…」
「しかしお前、よく飴玉なんか持ってたな」
感心したように言う一哉に引き上げられながら、諒一は困ったように微笑んだ。
「実は…お前に再会するちょっと前まで喫煙してたんだ…。だからたまに口寂しくてな」
「ふぅん? 諒一様が煙草ねぇ…。想像つかねぇな」
「そう…言うと思ったからやめたんだ」
拗ねたように言って無事手元に戻った案内図を広げ、諒一は再び通れそうな通路を探し始める。だが、やはり下層へ降りる階段は真逆にしかなくて、諒一は肩を落とした。もと来た通路を、また戻らねばならない。
「つぅか諒一様よ。階段降りたらどっち行きゃあいいんだよ?」
「あそこを…通るのか…?」
「まぁ、それが一番早いんだろ?」
「早いけど…」
口籠る諒一は、明らかに怯えた様子で一哉は苦笑を漏らす。
「あそこ通り抜けるまで耳塞いで目ぇ瞑ってろ。抱えてってやる」
「な……」
口をぽかんと開けて絶句する諒一を促し、一哉はさっさと船室までのルートを確認すると、あっさりとその腕に諒一の躰を抱え上げた。
「これなら、怖くねぇだろ?」
「いや…その…怖くはない…けど…」
「あん?」
「……恥ずかしい…」
顔を真っ赤にする諒一に、一哉は思わず口付けていた。
「な…っ」
「ああ、悪ぃ。つい」
「つい…って」
「ま、礼は部屋に着いたらたっぷりもらうから。覚悟しとけよ諒一様?」
ニッと人の悪そうな笑みを浮かべる一哉に、困ったような、だが嬉しそうに微笑んで、諒一はしがみ付いた。まさかこうして抱え上げられるとは思ってもいなかった諒一だ。いつの間にか自分よりも随分と逞しくなってしまった幼馴染の腕の中にひどく安心してしまって、諒一は小さく囁いた。
「やっぱり…一哉は俺のヒーローだよ…」
「ああ?」
「なんでもない」
「ばぁか。聞こえてんだよ」
危なげもなく階段を下りながら言う一哉に、諒一はむっとしながら顔を埋めた首筋に噛み付いた。
「いって…」
「ざまぁみろ」
「頭きた。今すぐ恋人って言わなきゃこのままぶん投げる」
「ッ! イヤ…だ、一哉…っ」
「嫌だじゃねぇだろ? 言えよ」
「ぅっ…恋人だから…置いていくな…」
「ははっ。良く出来ました」
見えなくとも、一哉がもの凄く愉しそうに笑っているのが諒一にはわかる。それが、諒一にはとても嬉しい。意地悪だけど優しい一哉の腕に抱かれたまま、諒一は結局船室まで運ばれた。
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