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須藤甲斐(すどうかい)× 安芸隼人(あきはやと)
薄暗くなった会場の中、隼人は隣にいる甲斐の手をすぐさま掴んだ。甲斐がむやみやたらに動き出す筈がないと分かってはいるが、万が一見失いでもしたら隼人自身が発狂してしまいそうだった。
きゅっと確かめるように手を握れば甲斐にもまた握り返されて、隼人は顔を綻ばせる。
「隼人。ルームナンバーは覚えているか」
「もちろんです甲斐。ですが、こう視界が悪くては参りましたね」
「お前の困った顔が良く見えないのは残念だ」
クスクスと可笑しそうに笑う甲斐の顔を、隼人は間近に覗き込んだ。
「これなら、私の顔が見えますか?」
「そんなに近付かなくても見える」
呆れたように言いながらも甲斐は隼人の唇を軽く奪う。
「駄目ですよ甲斐。こんなところで私を煽らないでください」
「なら、早く部屋へ案内しろ」
「かしこまりました」
隼人は握っていた手を放し、甲斐の腰へとそっと腕を回す。通路に出ても変わらぬ視界に僅かに眉をひそめながらも、隼人は何を見る事もなく船の中を進んでいった。
「これは啓悟が喜びそうですね」
「そうだな。迷っていなければいいが」
「藤堂さんもいらっしゃいますし、大丈夫でしょう」
「お前は、こういうのは平気なのか?」
僅かに見上げながら問いかける甲斐に、隼人が微笑む。
「苦手だと言ったなら、甲斐が守ってくださいますか?」
「本当に苦手ならな」
「苦手という事もありませんが、あまり得意ではないですよ。なので、そばにいてください」
甘えるように甲斐の髪に口付けを落とし、隼人は腰に回した腕に少しだけ力を込めた。時折響く悲鳴や軋むような音に、顔を見合わせながら通路を進む。何度か仕事やプライベートでこの船に乗る機会があった隼人と甲斐は、船内の配置はだいたい頭に入っていた。
「随分と雰囲気が変わるものだな」
「そうですね。普段は美しい船ですが、今夜は本当に幽霊船のようです」
「怖くはないか?」
「貴方が、隣に居てくださるのなら」
と、そう言った隼人の脚がピタリと止まる。急に立ち止まった隼人を、甲斐は訝し気に見上げた。
「どうした?」
「あ、いえ…」
歯切れの悪い隼人を甲斐が首を傾げながら見上げれば、隼人もまた小首を傾げていた。その表情が、どうも冴えない。普段からあまり表情を表に出さない隼人なだけに、甲斐は訝しむ。
「何か気になる事があるなら言え」
「申し訳ありません…、通路を間違えてしまったようです…」
「お前が?」
「はい…」
申し訳なさそうに眉根を寄せる隼人に、甲斐が思わず笑いだす。
「珍しい事もあるものだな」
「ごめんなさい…」
「別に謝る必要はない。これだけの規模で、しかもこの視界の悪さだからな」
気にした様子もなくそのまま歩き出してしまう甲斐を、慌てて隼人が追う。スタスタと進んでいった通路の先で、今度は甲斐が立ち止まった。
「甲斐?」
「おかしいな…」
考え込むように顎に指先で触れた甲斐がもと来た通路を振り返る。
「俺たちが居たのはシアタールームだったよな」
「そうですね」
「お前、案内図持ってるか?」
「はい」
隼人は上着の内ポケットからパンフレットのようなものを取り出して、甲斐へと手渡した。甲斐の広げた案内図を、隼人が上から覗き込む。薄暗く見難いそれに、隼人は今度は胸のポケットへと手を差し込んだ。
スマートフォンを操作してライトを点ける。パッと明るくなった手元に、甲斐は一度だけ顔を上げて視線を元に戻した。
「通路が…違う?」
「あっ、本当ですね。いつもと変わっています」
そう隼人が言った瞬間、甲斐の手元から案内図がサッと消えた。
「っ!?」
否、小さな子供が案内図を手ににこにこと笑っていた。
『返してくれないか?』
「Trick or Treat」
些か古そうな衣装を身に纏った子供の台詞に、甲斐と隼人が顔を見合わせる。可愛らしいイタズラに微笑んだのは隼人だ。小さな子供の前に膝を折って目線を合わせると、隼人は優しげな声で答えた。
『ごめんね。お菓子は持っていないから、あげられないんだ』
隼人が言った瞬間、子供が案内図を持ったままサッと踵を返して通路を走って行ってしまう。
「待っ…」
「大丈夫です甲斐。変わっている部分はすべて確認しましたし、覚えています」
再び腰に腕を回して微笑む隼人に、甲斐が小さく肩を竦めてみせる。案内図を見た時間はほとんど一瞬かというくらいに短かったにもかかわらず、あっさり覚えたという隼人には呆れるしかない甲斐だ。
「お前には敵わんな」
「でも、暗くて怖いので貴方に触れていてもいいですか?」
「これ以上?」
「はい。私を甘やかしてください」
耳元で囁きながら、隼人は甲斐を抱き締める。視界も悪く人影もない通路で啄むような口付けを交わし、隼人は今度こそ迷うことなく甲斐を船室まで案内した。
二人きりの部屋の中、隼人は甲斐を抱きかかえるようにしてソファに座る。甘えるように首筋に顔を埋めれば、甲斐がくすぐったそうに笑った。
「朝まで甘える気か?」
「甲斐が許してくださるのなら」
「お前は年をとるごとに我儘になった」
「貴方が…上手に甘やかしてくれるからですよ」
大きなソファに抱えられたまま、隼人の頬を甲斐はそっと撫でる。モデルを早い時期に引退したとはいえ、隼人は相変わらず陶器のような美しさをたもったままだ。
「こんなに可愛い恋人を甘やかさなかったら、罰が当たるだろ?」
「それは、もっと我儘になっていいというお許しですか?」
「今は、プライベートだからな」
「では、お言葉に甘えて…」
トサリと優しく甲斐の躰をソファに横たえて、隼人は囲うように両腕をついた。小さな水音を立てて唇を合わせて舌先を吸い上げる。含み切れなかった唾液をペロリと舐めあげて隼人は微笑んだ。
「愛しています、甲斐」
「俺もだ」
求めるように手を伸ばし、隼人の躰を抱き締める。丁寧にボタンを外す隼人を咎める事もなく、甲斐はその身を委ねた。
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