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篠宮啓悟(しのみやけいご)× 藤堂学(とうどうまなぶ)
視界の悪くなった場内に慌てたような声をあげながら、いつの間にか藤堂の腕の中に後ろからすっぽりと囲われた啓悟は周りをきょろきょろと見回した。
「はっ? えっ? なにこれどういう事!?」
「そういう趣向のクルーズなんだろう」
「船丸ごとお化け屋敷!?」
「たぶんな」
企画としては面白いが…と、そう思う藤堂は、啓悟を抱き締めたまま手元を見遣って苦笑を漏らす。船の案内図すら満足に見ることが出来なかった。船室のナンバーは覚えているが、初めて乗る船で、しかも規模を考えれば何も見ずに辿りつける筈などない。
参ったと、藤堂がそう思っていれば腕の中からニシシと楽しそうな顔の啓悟が見上げてくる。
「やっべー。すげー楽しそう!!」
「それは何よりだ。では啓悟、これをやるから俺を船室まで案内してくれ」
「げっ。見難っ!! しかも何これ…広すぎじゃね?」
「よかったな。迷子になれるぞ啓悟」
どちらにせよ朝になれば港に戻る船である。一晩中迷子になっていたところで誰からも文句は言われない。ただ、疲れるだけで。
「すぐ近くにフレッドがいたはずだが…これではもう合流は出来ないだろうな」
「げー! マジかよ。隼人とか大丈夫かな」
「あの二人は何度かこの船に乗っているから心配はないだろう。それよりもお前は自分の心配をしろ」
「うへー。こんなデカい船全部使ってお化け屋敷とか、さすが規模が違うわ…。つかあの映像のクオリティ凄かったなー…マジでこの船で撮ったのかな」
「きっとな」
ついつい仕事の事を考えてしまう啓悟である。こういうイベントも面白そうだと、脳内のネタ帳にメモをして、啓悟は藤堂を見上げた。
「んで? なんで俺は抱き締められてんの?」
「急に走り出されたらはぐれるだろう?」
「ガキかよ…」
と、言いつつ最初から見回すだけでは物足りなかった啓悟は否定できずにへらりと笑う。
「まあ、せっかくだし散歩しようぜ」
そう言って腕の中から抜け出した啓悟は藤堂の腕にぎゅっと抱きついた。そのまま、通路へ向かって歩き出す。
「へへっ、これだけ視界が悪ければくっついてても見られる心配なくていいな」
「確かに…な」
するりと、藤堂の指が啓悟の胸を撫で上げる。
「んはぁ!? なっ…バカッ」
「見られる心配もないだろう?」
「だからって…ちょ、どこ触っ…んっ、やっ」
「声は、聞こえるんじゃないのか?」
腕にしがみ付いたまま慌てて口許を押さえる啓悟を、藤堂が面白そうに見下ろす。ただ胸を少し弄っただけで、啓悟は僅かに涙を浮かべていた。さすがにこれ以上は酷かと手を放せば、啓悟が睨んだ。
「藤堂のバカ…っ」
「悪かった。そう怒るな」
くつくつと喉を鳴らす藤堂に躰ごとぶつかって抗議する啓悟である。なんだかんだ言いながらじゃれ合って歩いていくと、うっすらと煙の奥に人影が見えた。
「ん? 人がいる…?」
「まあ、居るだろう。フレッドのように元々クルーでもない限り、迷うだろうからな」
「お化けだったりして」
少しずつ輪郭がはっきりしてくると、どうやら海賊のような衣装を身に纏った男が見えてくる。こちらに背中を向けたまま、その男はゆっくりと蹲るようにしてその場にしゃがみ込んだ。
低い声で啓悟が藤堂の耳元に囁く。
「お化け…?」
「さあな」
「近づいて逆に驚かせるとかアリ?」
楽しそうに言う啓悟に、藤堂は苦笑を漏らした。抱えられている腕を抜いて啓悟の背中を押してやる。
「行ってきたらどうだ?」
「藤堂ここにいる?」
「ああ」
「じゃあ行ってくるっ」
楽しそうに囁いてそろそろと啓悟が男へと近付いていくのを、藤堂は壁に寄り掛かって見るともなく見つめた。相変わらずスモークで視界は悪いが、輪郭くらいは見分けがつく距離だ。と、その時。つんっ…と藤堂の袖を誰かが引いた。
訝しんで引かれた袖を見れば、そこには少年が一人立っている。身綺麗ではあるが、些か古めかしいデザインの服を纏った少年は、藤堂ににこりと微笑んでこう言った。
「Trick or Treat」
「参ったな…」
小さく日本語で呟いた後で、藤堂は少年に向かって英語で告げる。
『急にもてなせと言われても…菓子も何も持っていない』
ハロウィーンには定番の、子供の台詞に苦笑を浮かべながら藤堂が答えれば、少年の手の中でチリン…と小さく鈴が鳴った。と、その時である。海賊の男のすぐ後ろで、啓悟の躰が開いたドアへと吸い込まれるのが藤堂の視界の端に映る。
「おわっ!?」
「啓悟!!」
「うわぁあああっ!?」
壁の奥からくぐもった啓悟の声が聞こえる。慌ててドアへと取りついた藤堂だったが、どうやら鍵がかかっているらしく扉は開かなかった。
少年が楽し気に笑って去っていく後ろ姿を、藤堂は眉間に皺を寄せたまま見つめている事しか出来ない。その横で、ゆっくりと立ち上がった海賊の男が何やら藤堂へと手を振ってみせる。その手には、鍵が一本握られていた。
「まさか…」
無言のまま踵を返した海賊は、次の瞬間猛スピードで走り出す。
「待てっ!!」
「藤堂!?」
「そこで待ってろ啓悟! 動くなよ!!」
返事を聞いている余裕もなく怒鳴り、藤堂は海賊の男の背中を追った。勘弁しろと思いながらも啓悟をそのままにしておく事も出来ず、藤堂は口許に苦い笑みを貼りつかせる。まさか船の中で追いかけっこをさせられるとは思ってもいなかった。
視界が悪く時折見失いそうになりながら幾度か角を曲がる。そうして辿り着いた先は、屋内にあるプールサイドだ。
海賊の男の横には、いつの間にか先ほどの少年もいる。少年は、随分と大きなバスケットを抱えて微笑んでいた。
『鍵を、渡してくれないか』
言った瞬間、海賊の男は明らかに大袈裟なモーションで小さな鍵をプールへと投げようとする。
「な…っ! 待てっ!!」
海賊の男の手から放たれた小さな鍵は綺麗な放物線を描き、水面に小さな波紋を作った。鋭い舌打ちを響かせて、藤堂がプールサイドを蹴る。透明な水の中に沈んだ小さな鍵を拾い上げ、藤堂が水面から顔を出した時にはもう、海賊の男も少年もその姿を消していた。
「勘弁しろ…」
ぽつりと小さく呟いてプールサイドへと上がれば、少年が置いていったと思しきバスケットに目が留まる。これでもかと水気をはらみ、躰に纏わりつく上着を脱ぎながら歩み寄れば、そこには小さなカードとタオル、それに真っ白な制服が用意されていた。
随分と強引なコスプレのさせ方だと苦笑が漏れる。ご丁寧に洒落たパーテーションで設えられた更衣室でさっさと着替えを済ませ、藤堂は呆れながらも啓悟の元へと急いだ。
相変わらず視界の悪い船内を、海賊の男を追いかけて走ってきた通路を思い出しながら戻る。幾度か立ち止まりはしたものの、藤堂は難なく啓悟の閉じ込められている扉の前まで戻った。
「啓悟? そこにいるか」
「藤堂!? 真っ暗で…」
「今開けてやるから待っていろ」
プールの中から拾い上げてきた鍵で扉を開ければ出てきた啓悟が抱きつこうとして、ピタリとその足を止めた。
「藤堂…それ…」
「ちょっとな…」
「えっ!? 何それコスプレ!? ずりぃ!!」
一人だけ狡いと喚き散らす啓悟に苦笑を漏らし、藤堂が額に落ちかかる髪を掻き上げる。狡いと言われても藤堂からすれば自ら望んで着ている訳ではないのだが。まあ、当然啓悟にはそんな事など関係がない。
「いいなー。俺も制服着たい」
「なら、早く部屋に行かないとな」
部屋に着けばバスローブくらいはあるだろうと思う藤堂だ。そうすれば制服を啓悟に着せてやる事も出来る。真っ白な制服を身に纏った啓悟を想像して、藤堂はひとり小さく笑った。
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