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「後藤田様!」
パクパクと、開いた口。
金魚なんかよりもっと凄まじい動きだったに違いないわたしを見て
「胡蝶、動揺し過ぎ」
ふは、っと笑って顔にかかるウェーブを掻き上げた。
「悪ぃ、手間かけた」
カウンターのスツールにドカッと腰を下ろした後藤田様が、たとう紙をペラリと捲って
中身を確かめる。
「調子どう?」
「は?調子ですか?
頗る元気ですが……」
実際そうだった。
脚の痛みが急激に良くなったのは昨夜の風呂上がりから。
そのおかげなのか、今朝は身体も軽かった。
白金楼に来て、こんなにゆっくりした生活を経験したことがないと言うくらいに、ただただ何もせずに過ごした。
我儘を言うなら、ほんとに暇すぎるというくらいだ。
幸せな我儘だな、と後藤田様のたとう紙を扱う手元を見ながらそう思った。
あの女はもう居なかった。
後藤田様とどんな関係なのかが気になる。
何をしにここに来たんだろうか。
鍵を渡す仲なのに、連絡先も知らないのか。
その疑問は直ぐに解明される。
「時々ああやって送り込まれるんだよ」
「……女を、ですか」
カウンターに肘を付き伸びた掌に顔を乗せた後藤田様は気怠そうに微笑んだ。
緩く畝る髪が、輪郭を隠していて
そこに隠れた艶がわたしの興味を酷く揺さぶる。
「鍵はどんだけ替えても、都度新しいのを手に入れてくるから、もう諦めた」
「お帰りになったんですか?」
少しの間の後、緩く頷き
「知らない女が、留守中に何しでかしてるか分からないなんて
気持ち悪いだろ」
一度、真上を向いた視線が
ゆっくりと降りてきて
わたしに向けられる。
「オレが居るとこって権力も私利私欲もいっしょくたになってんだよ」
首を傾げた憂鬱に陰る美しい表情に、ほんの一瞬、心臓が握られたみたいにぜんぶが止まった気がした。
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