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――浴槽に水をはる。どぼどぼと聞こえる音が腹の底を叩き、体のうちに反響する。
あいつのあとがきは、親友ではなく恋人を選んだ主人公を批判していた。一生涯の友はそうそう得られるものではない。自分ならば親友を選ぶ。繋ぎとめるためならどんな卑劣な虚偽をも用いる、と。
『どんな卑劣な虚偽』
勘ぐりすぎじゃない。あいつは俺よりも人間の心を理解している。そして、誰よりも俺を理解している。あれは嘘だった。間違いない。すっかり真に受けて浮かれた。くそっ、くそっ、くそっ!
砕けんばかり歯噛み。烈火を飲みこんだように喉の奥が熱い。震える拳で決意をかためる。……思いどおりになってやるかよ、絶対に!
剃刀を手首にあて、思いきりかき切った。赤い筋が肘を伝って水面に落ちる。傷口が脈打ち、心臓が二か所になったような錯覚に陥る。
あいつはきっと泣くだろう。それが俺のためなのか自分のためなのか分からない。だが、いずれにしろ、これで思惑は外れる。あいつは俺を失う。ざまあみろ……!
遠のく意識のなか綺麗に微笑んだあいつが蘇ると、かつて同じように笑ったのを思い出した。たしか恋人を紹介される少し前、二人で飲みに行って次回作の構想を聞かされた時のこと。
それは、すべてを手に入れようとする強欲者が、唯一ままならぬ友人を自身に偏執させ果ては自殺に追いこむことで、永遠に誰のものにもさせないという話だった。
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