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 首輪をしてはいるが、飼い主がいるという話は聞いたことがないから、捨てられて野良になって生き延びたのかもしれない。珍しい雄の三毛猫ということもあって、今では理学部のマスコット的な存在だ。可愛い顔だが滅法気が強い。生命科学科の学生が、血液採取をして遺伝子解析をしたい、と捕まえようとしてこっぴどく引っかかれて以来、学生や教員にも一定の敬意を払われている。それがなぜか明松にだけは懐いていて、よく中庭で足元にじゃれついているので、雄でもやっぱりイケメンが好きなのかね、なんて冗談のネタにされている。  自分だったら、たとえ猫になったとしてもあんな男に気安く懐いたりできない、と迪は思う。話しかけたり近寄ったりするのに余分な緊張を強いられる。 「お前、意外と勇者だよな」  足元の猫の眉間のところを指先でぐりぐりと撫でてやる。三毛猫は「当然だろう」というような顔をすると、そのままふいと向きを変え、あたかもパトロールをするような足取りで瑞垣をぐるりと回り込んでいった。  迪は溜息をついて立ち上がる。神社の社殿に無断で立ち入るのがどのような罪に問われるのかはわからないが、もし見つかって大学に連絡が行ったりすれば、面倒なことになるだろう。  それでもどうしても諦めきれず、鎖の巻き付けられた木戸に手をかけて、前後に揺すってみた。  その瞬間。 「え」  視界の明暗が反転した。
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