恋、しちゃいました。

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 フレデリックが差し出した身分証は当然ながら英語で書かれてたけど、それくらいなら俺でも読める。現在の所属は日本支社で、肩書はディビジョンマネージャーって書いてあった。  ――え? もしかして偉い人…? 「でっ、でも…っ、劉は? りゅ、劉の怪我は…貴方がやったんじゃ…」  IDカードを返しながら言えば、運転席から答えが返ってくる。 「ばぁか。そりゃあ俺だ」 「へ?」  あっさりと言ったのは、辰巳さんだった。呆れたような顔でバックミラーからこっちを見る辰巳さんは、本気で俺の事を馬鹿にしたような顔で見てる。 「お前よ、いったい俺を何だと思ってやがる? 攫われたくれぇで命まで取らなくったって、ケジメくれぇは着けさせんのが当然だろぅが」  言われてみればその通りで、辰巳さん自身が仕返しをするのなんて当たり前だって事に今になって気付く俺は、やっぱり馬鹿かもしれない…。  ――ヤクザが誘拐とかされて黙ってる訳ないよね…。そりゃ本人なら余計にさ…。 「じゃ、じゃあ…ホントに辰巳さんに騙されてたの俺…?」 「おう。コロッと騙されてるお前見てんのは、結構面白かったけどな」 「な…っ」  悔しさにギリギリと歯噛みしする俺の横で、フレデリックが朗らかに笑う。 「お詫びに、キミに美味しいものをたくさん食べさせてあげようと思ってね」 「くくっ、お前、さっき車乗せられるとき誘拐されるとか思ってやがっただろ」 「そっ、そりゃ思うに決まってるでしょ!?」 「馬鹿じゃねぇの? お前拉致って俺らに何の得があんだよ」 「うぐ…っ」  確かにその通りだ。俺を誘拐しても辰巳さんに得なんてない。それを考えれば何も言い返す事が出来なくて、やっぱり俺は歯噛みするしかない訳で。  結局、その日は辰巳さんとフレデリックの住んでるっていうマンションに連れていかれた俺は、そこで豪華すぎる手料理を振舞われた。 「人をマフィアだなんて酷いね。僕は辰巳のお嫁さんだよ?」  ――いや、堂々とそんな事言っちゃうのもどうなの…。  って、心の底から思ったけれど、言うだけの事はあってフレデリックの手料理はめちゃくちゃ美味しかったので黙っておくことにする。  騙されたのは悔しいけど、辰巳さんはちゃんとこうして教えてくれたし、誤解が解けてよかったと思う。  ――殺されたらどうしようって、マジで思ったけど…。   ◇   ◆   ◇  時間が過ぎるのなんて本当にあっという間で。俺は無事大学を卒業し、二年間ニューヨークの店で働いた。  卒業式の日は、新任研修で忙しくなるという間宮とお茶をして、お互い落ち着いたらまた飯でも食おうって約束して別れた。それから兄貴からも『卒業おめでとう』って短いメールも送られてきた。  結局忙しいままで間宮との約束も果たせず、メールでたまに文句を言われるけど、まあそれは仕事だから仕方がない。兄貴からは年に数回、思い出したように『元気か』ってメールが来るくらいだ。  そして現在。二十五歳になった俺は、明日から働く新しい店を道の反対側から見つめてた。そこは、香港島の北側に位置する銅鑼湾(どらわん)と呼ばれる地区にある香港支店。  須藤さん曰く銅鑼湾は”ニューヨークを凌ぐ商業地”らしく、確かに建物も密集していれば人の多さも桁違いだった。  ――やっと来れた。  本当は大学を卒業したらすぐにでも中国へ来たかった。けれど、須藤さんはそんな俺の気持ちなんてお見通しで、あっさりと説教されたのが劉がいなくなった三年前。言葉をちゃんと覚えて、仕事ができるようになったら香港支店に転勤させてやるって、須藤さんはそう言ってくれた。そして約束通り、俺は明日から香港支店の副支店長になる。  中国語って一言に言っても国が広いだけあって、中国には方言がもの凄い多くある。しかも日本でいう標準語と関西弁とかみたいな差じゃなくて、もう言葉自体違うんじゃないかってくらいの違いがあった。  劉の居る香港は広東語を話すとかで、北京語と広東語の両方を覚える事。それから当然英語は必須。須藤さんに言われるまでもなく北京語を勉強し始めた当時の俺が、それに打ちのめされた事は言うまでもない訳で。  ついでに職もなく俺みたいなのがそんな場所に行っても野垂れ死ぬのがオチだと散々言われ、まあその後にちらつかされた旨い餌に俺はまんまと喰い付いたってのが真相だったりする。  店の場所も確認できたし、新しい家の荷解きなんていつでもできる。そうなれば俺のするべきことはもう決まっている訳で…。俺はポケットから取り出したスマートフォンでメールを開いた。そこには、ハヤトさんが送ってくれた劉がオーナーをしてるって会社の名前と、酒房の名前が幾つか書かれてる。  ――会社は…アポなしじゃ無理だよなぁ…。となると店だけど…。  劉が俺の事を覚えていてくれてるかどうかは分からない。けれど劉と最後に会ったあの日、何も言ってくれない劉に、俺は泣きながら『迎えに行く』ってそう言った。 『不釣り合いだって言うなら釣り合うようになるよ…。負担だって言うなら、負担にならないようにちゃんと自立する…。だからそれまで…誰のものにもならないで…っ。絶対…迎えに行くからっ』  言うだけ言って、返事を聞くのが怖くて逃げだした当時の俺は本当にヘタレで…。  ――完全に自業自得だよな…。連絡先くらい聞いておけよ俺の馬鹿…。  取り敢えず、ハヤトさんの情報だと一番顔を出す可能性があるらしいって店へと足を向ける。ハヤトさんと須藤さんには、劉を探すのは良いけど、誰かに名前を出して聞いたりするのはやめておいた方がいいって硬く釘を刺された。  結局、初日から劉に会えるなんて幸運に恵まれる筈もなく。軽い食事と少しだけ酒を飲んで俺は店を後にした。   ◇   ◆   ◇  それから一カ月くらい経った頃。香港支店での仕事も慣れて休暇のその日、俺は珍しい人に呼び出された。待ち合わせの場所は、俺が香港に赴任してからもう何度も通ってる劉がオーナーをしてる店の一つ。  昼時で混み合った店の中へと入れば、顔なじみになったホウという名の店員が笑いかけてくれる。通い始めてから何となく定位置になりつつある席へと案内されそうになって、俺が待ち合わせで来た事を告げるとホウは僅かに目を細めた。おや? と思う間もなく今度はまた笑顔になって、今度こそそちらへと案内してくれる。  店の奥まった場所にある個室へ入れば、既に俺を呼び出した張本人、辰巳さんの姿があった。隣にはもちろん、フレデリックの姿がある。ホウは俺を案内すると、すぐに表のフロアに戻ってしまった。 「よう、久し振りだなクソガキ」 「いい加減クソガキ呼ばわりするのはやめてください。俺もう二十五ですよ?」 「俺らからしたらクソガキだろぅが」 「……そうですね…」  二人とも同い年だという辰巳さんとフレデリックの年齢は、確かもう四十七になる筈だ。そりゃあ俺が子供扱いされるのも当然の事ではある。だけど。  ――この人らどう見ても三十代にしか見えないんだよな…。  初めて会った三年前、兄貴から年を聞かされて驚きはしたけれど、その頃とも全然老けてる様子がない。それどころかフレデリックに限って言えば、若返ってる気さえしてくるくらいだった。  ――いつ会っても謎だ…。  相変わらず辰巳さんの態度はぶっきらぼうで、座れって言葉じゃなくて態度で示されて俺は向かいの席に腰を下ろした。 「ここに呼び出したって事は、俺の為にお節介を焼いてくれるって、そう思って間違いないですか?」 「はぁん? 誰がそんな事言ったよ」 「だって、辰巳さんがこんな場所まで来るなんてそれ以外考えられないじゃないですか。香港ですよここ」  辰巳さんが香港の方まで来るなんて、それ以外に考えられない。兄貴も須藤さんも、辰巳さんは案外面倒見が良いって、そう言ってたから。  俺が思わずジト目になるのは、まあ仕方がないとそう思う。それを見て笑ったのは、フレデリックだった。 「ふふっ、残念だけどそれは外れかなぁ。辰巳は世話を焼くのは好きだけど、旅行は大嫌いなんだよ? それなのにこんな場所まで自分からくるはずがないだろう?」 「え…? じゃあどうして…」 「お前やっぱ馬鹿じゃねぇのか? 俺じゃなかったら残ってんのはフレッドしかいねぇだろぅが」 「ぅぐ…」  相変わらず堂々と馬鹿呼ばわりされて、思わず言葉に詰まる。けれど、その後ですぐに辰巳さんはニッと口角を持ち上げてこう言った。 「ってのはまあ、冗談だがな。俺がここに出張(でば)ってきてんのは、仕事だよ仕事」 「へ?」 「ま、お前はついでってこった。感謝しろ」  仕事と言われても辰巳さんみたいなヤクザがどんな仕事をしてるかなんて知らない俺は、だがそれが劉絡みである事だけは辛うじて理解できた。そうじゃなかったら、俺が呼ばれるはずがない。  結局辰巳さんは俺に世話を焼いてくれるつもりなんだろうと思えば、確かに感謝するのは道理ではあるのだが…。  ――言い方がいちいちこう…、なんで馬鹿にしないと気が済まないんだろうなこの人は…。  とは言え、付き合いも三年になれば俺もいい加減辰巳さんの性格には慣れた。須藤さん曰く、”天邪鬼で面倒見がいいお父さん”というのが辰巳さんって人だそうな。  フレデリックに関しては、調べてみれば本当に豪華客船のキャプテンを長く務めた人で、ネットで検索したらファンらしき人のブログやら写真やらが大量にヒットするほどだった。しかも悔しい事に真っ白な制服がもの凄く似合ってて、本人に『男前だろう?』と自慢されても頷くしかない。  それから少しして、劉は姿を現した。俺を見て僅かに驚いたような顔をしたけれど、すぐに目を伏せた劉は次の瞬間にはもう辰巳さんを見て頭を下げる。三年ぶりに見たスーツ姿の劉は相変わらず綺麗で、思わず見惚れそうになるくらいだった。  さすがに仕事の話をするのに部外者でしかない俺は外に出ていろと部屋を追い出される。  閉まったドアを見つめ、廊下で小さく息を吐く。僅かな疑問が俺の中には残ってた。それは、フレデリックの事だ。  劉自身が言ってた言葉が、どうしても忘れられずにいた。 『お前が許そうとも、フレデリックは絶対に私を許さない』  あれから三年。俺も色々と考えなかった訳じゃない。  もしフレデリックが本当にフランスマフィアだったとしたのなら、辰巳さんはきっとそれを知ってる筈だ。それに、劉も。  俺にフレデリックがマフィアだと告げたのは辰巳さんだ。それは冗談で、揶揄っただけだとフレデリックも辰巳さんも言ったそれを、俺は信用してる。否、信用してるフリをしてる。  三年間考えて俺が出した結論は、フレデリックが本当にマフィアなんじゃないかという答え。  劉が三年前に口を閉ざした理由も、それなんじゃないかって事だ。
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