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劉を好きか嫌いかって聞かれたら、間違いなく好きって答えるだろう。友情か恋愛かって聞かれたら、友情以上恋愛未満。これまで年下の女の子しか相手にしてこなかった俺としては、劉は年上だし、なんとなく憧れっぽい感情の方が強くて恋愛感情というのとも少し違う気がしてた。
「多分、もう冷め始めてるから大丈夫だと思うけど…」
スプーンで掬った味噌汁を、少しだけふーふーと息をかけて冷ました後で劉の口許へ運ぶ。ちょっと薄めの唇が開いて、俺の手から何かを食べてるってだけで何だか嬉しい。それに、微妙に色っぽい…。
――いやいやいや、自重しろ俺。まだ会って二日目だから!
劉が女だったら確実に口説いてるだろうな俺…なんて思いつつ、目の前に並べられた食事を様子を見ながら劉に食べさせていくのは結構楽しい。ほら、よくある『あーんっ』ってヤツ。
妄想力逞しい俺としては、劉が相手なら案外お世話をするのもそんなに苦じゃなかった。まあ、劉以外の…例えば兄貴の世話をしろって言われたら御免だけど。
「ごちそうさま。ありがとう要、助かった」
「どういたしまして」
変な想像ばっかりしてたせいか、あっという間に食事が終わってしまって少しだけ損した気分になってる俺は、自分の単純さと手遅れ感に気付いた。
――どうしよう俺、劉のこと好きかも……。
まあ、思うだけで口に出す気はさらさらないんだけど。っていうか、二日目で同性相手に言い出す勇気なんてさすがにない。
食器を丁寧に重ねて台所に運び、ついでとばかりに俺が洗い物をしたのは、間違いなく劉の印象を良くしようという下心。我ながらどんだけ姑息なんだって思うけど、好きな人に良く思われたいのは、人間の性ってやつだろう。そうじゃなければ洗い物なんて後回しにする性格を俺はしてる。
兄貴のアパートは、古いけれど結構ちゃんと掃除とかされてて、台所も良く見れば綺麗だった。物が少ないせいか、整頓もされてる。
小さな流しの横に置かれた水切りカゴへと洗った食器を並べ、さすがに水気を拭くのはいいかと手抜きをした俺は和室へと戻った。
「飲み物とかまだある? 何か飲みたいものとかあれば買ってくるけど」
「大丈夫だ、ありがとう」
言いながら返される劉の微笑みはやっぱり綺麗で、俺も思わず微笑み返す。言っておくけど、俺の見た目はそんなに悪くないはずだ。これでも大学ではよく女子が寄ってくる。ついでに言うなら男に告白されたこともある。まあ、自慢にならないけど…。
さすがに何かを食べさせたりする訳じゃないから隣に座るのは不自然だろうな…と、テーブルの角を挟んでちょっと近めに座る事にした。
昨日は、向かい側だった。
◇ ◆ ◇
兄貴のアパートで劉の手伝いをするようになって一週間くらい経ったある日。午前中いっぱい大学の講義があって、午後になって兄貴のアパートへと顔を出した俺は、座敷に座る劉の顔がなんだか嬉しそうな事に気付いた。
「何か今日は楽しそうな顔してんね、劉」
「そうか?」
「うん。楽しそうっていうか、嬉しそう?」
劉と一緒に食べようと、途中で買ってきたタコライスをテーブルの上に広げながら俺が言えば、劉は小さな声で『まあ…』と、そう言った。その顔が、なんだか赤い気がするのは…気のせいだろうか。
――え? 何…? 何でそんな恋する乙女みたいにはにかんでんの!?
内心俺が焦るのは当然の事で。だって俺、劉の事好きだし!? てか劉にそんなはにかんじゃうような相手がいるなんて聞いてない。
大いに慌てはするものの、まだ気持ちも何も伝えてない俺が何かをとやかく言えるはずもなく。ただ茫然と劉の顔を見てる事しか出来なかった。
「どうした?」
「ぅぇ!? ぁ、あぁ、ごめんっ。ちょっと講義の事思い出しちゃって…ははっ」
「そうか」
止まっていた手を慌てて動かしながら笑えば、劉が微笑んでくれる。
――き…っ、気になる……っ!!
いったい俺の居ない間に何があったというのか。聞きたいけれど、聞いていいのかもの凄く迷う。
相変わらず姑息な俺は、劉の隣に座るためにわざわざスプーンとかを使うご飯を買ってきてる訳で。取り敢えず『お世話をする』という名目の元、食事を並べて劉の隣に移動する。
透明なビニール袋に入った先の割れたプラスチックのスプーンを取り出して、適当に混ぜたタコライスを掬って口許に差し出す。
「ありがとう。いただきます」
「う、うん…」
俺が来た時と変わらず嬉しそうな顔のまま微笑む劉は、いつにも増して綺麗だ。だけど、それって俺に向けられたものじゃない。
結局、微妙な心持のまま帰宅した俺は、ベッドの上にドサッと倒れ込んだ。
――なんも聞けなかったなー…。
そう。情けない事に、俺は劉に何も聞けなかった。
――兄貴に聞いたら…何か分かるかな…。
正直言って、劉のあの顔は絶対好きな人に対するソレだと思う。だってマジで恋する乙女っぽかった。
髪が長くて美人な劉は、男だけど本当に女性っぽくて…っていうか、艶があるって言うか…、色っぽいって言うか…、とにかくそんなの。
直接劉に聞けないくせに、どうしても気になった俺は、定位置である枕元に放り投げてあるスマホを取り上げた。
耳に流れ込むコール音を聞いてると、なんだか悪い事をしてるような気になってくるのは何故だろう。劉の事なのに、本人じゃなく他の人に聞くのはやっぱりフェアじゃないからか。
どうにもいたたまれなくなって、俺は兄貴が出る前に電話を切った。
「情けな……」
ボスッと枕に突っ伏して呟けば、くぐもって余計に情けなく聞こえる声。
気持ちを伝える事は出来なくても別にいいと思ってたけれど、劉に好きな人がいるなら話は別だ。というか、最初から叶わぬ恋をしてたってショックがデカい。
泣くほどツラいとかそういうのではないけれど、思ったよりも劉の事好きだったんだなって気付かされてちょっとしんどい恋心…。
ベッドの上でゴロゴロ悶えていれば、突然けたたましい音に飛び上がりそうなほど驚いた。音源はもちろんスマートフォン。液晶には、見るまでもなく兄貴の名前が表示されてる事だろう。
どうしようかと悩む部分はあるけれど、履歴を残してしまってる以上出ないのもどうかと思う気弱な俺は、恐る恐る通話ボタンをスライドさせた。
スマホを耳にあてれば案の定兄貴の声が聞こえてくる。なんだか兄貴の後ろの方がガヤガヤしてて、家にいる感じじゃなさそうだった。
『どうした。何か用か』
「あ、うん…。用っていうか、劉って今日…誰かと会った?」
『……どうしてそんな事をお前が知りたがる?』
兄貴の声が僅かに低まって、俺はやっぱり聞くんじゃなかったと後悔した。明らかに警戒されてる気がしなくもない。それはそうだろう、兄貴の職業はあまり他人に詮索されたくない部類のものだ。それくらいは、俺にも分かる。
「いや…うん、ごめん…。何でもない…」
自分でも驚くほど沈んだ声が出てしまって、早く電話を切った方が身のためなんじゃないかと思い始める。
「ごめん兄貴、聞かなかったことにして! じゃ……」
『待て要』
「ぁぅえ…?」
さっさと電話を切ろうとしたのに、兄貴の声に止められて奇妙な声が出た。ついでに兄貴が移動したような気配があって、さっきまでガヤガヤしてた声は聞こえなくなっていた。
『お前まさか劉に変な気でも起こしてるんじゃないだろうな?』
「っち、違…っ」
慌てて否定すれば、電話の向こうから兄貴の盛大な溜息が聞こえていたたまれなくなる。そりゃそうだ、俺の態度は分かりやすすぎる。しかも、俺も劉も男な訳で。
「でっ、でも…っ、俺べつに恋愛感情とかそんなんじゃないしっ! ほ、ほら、劉って年上だし、兄貴みたいって言うか、そんな感じ!?」
言いつくろえば言いつくろうほど墓穴を掘っている気がしなくもないけれど、取り敢えず誤魔化した方が無難だろうと、そう思う。っていうか、兄貴が黙ったままなのが一番怖い。
だからといってそれ以上俺には言える事もなくて、やっぱり気まずい空気が漂うんだけれど…。
『まあいい。今日、お前が居ない間に来てたのは若…俺の、まぁ上司に当たる人だ。バイト先でお前も見た事があるだろう?』
「あ…あの人が若なんだ…」
兄貴より身長は小さいけれど、俺なんかより背が高いしガタイもいいその人は、俺のバイト先のオーナーさんの友人らしい。ついでに店のケツモチとかもしてるらしい。ケツモチってのはまああれだ、飲み屋とかでよくあるナワバリみたいな、そんなヤツ。…俺も良く知らないけれど…。
確か名前は辰巳さん。年はたぶん兄貴より少し上で、オーナーよりも全然上。うちの店のオーナーは若い。それに、内緒にしてるけどもの凄い大企業の会長とかやってる人だ。
――ん? って事は、劉の想い人って…。
そこに気付いてしまった俺は、その時兄貴の声をまったくってくらい聞いてなかった。何かを言ってる気がするけれど、言葉が頭に入ってこない。それよりも気になるのは、やっぱり劉の事で。
劉のあの表情の相手が兄貴の上司の辰巳さんなんだとしたら、俺に勝ち目なんてない。年も違えば向こうはそれなりの地位にいる人で、しかも劉自身が好きなんて、凹むなって方が無理な話だ。
結局、何を言ってたのかなんてまったく聞いてなかった俺は、再び兄貴の背後が賑やかになってハッと我に返った。
『……だ。それとちょうどいいから今から行ってやってくれ。ちょっと帰れそうにない』
「え? あ…うん」
『大丈夫かお前?』
「大丈夫! 全然大丈夫!!」
『好きになるのは構わんが、きちんと考えてからにしろ』
じゃあなと、そう言って電話を切られ、俺は呆然と液晶を眺めた。
――え? 今好きになっていいって…言った…? え? なに兄貴平然と受け入れてんの…?
考えてからにしろとは言われたけれど、その声には嫌悪感なんてまったくなくて。それどころかちょっと心配してる感じだったのは俺の願望のせいだろうか。と、そこまで考えて、不意にその前の兄貴の言葉を思い出す。
――帰れないって言ってた? って事は劉ひとり…?
思わず時計を確認すれば、帰ってきてから結構な時間が経っている。兄貴の様子からしてアパートに一度帰ったとも思えなくて、俺は慌てて部屋を飛び出した。
◇ ◇ ◇
兄貴のアパートへと再び舞い戻った俺は、突然入るのも憚られて小さくドアをノックした。中から聞こえてきた『はい』という返事は劉の声だったけど、何だか緊張してるように聞こえる。
「オレオレ、要」
『ああ…、開いている』
劉の言葉にドアノブを捻れば本当に鍵は開いたままで、ちょっと不用心過ぎはしないかと心配になってしまう。兄貴がいる時ならばまだしも、いくら男だと言っても劉は両手を怪我してる訳で。今日はそろそろ兄貴が帰ってくる時間だろうから大丈夫だと劉に言われて帰ったけれど、やっぱり今度からは兄貴が帰ってくるまで一緒に居ようと、そう思う。
「ごめん。鍵預かってれば閉めていくんだけど…」
部屋にあがりながらそう言えば、劉は大丈夫だと言って微笑んだ。けれど、さっき外で聞いた劉の声は明らかに緊張してた気がする。まあ、このアパートってのぞき穴もないから、誰が来たのか声を聞くまで分からないのは確かに不安だろうとは思うけど。
「わざわざ戻ってきてくれたのか?」
「あー…うん。なんか兄貴、今日は帰れないって言うし」
「そうか」
これまで夜兄貴が帰ってこなかったことは一度もなかったけれど、やっぱり仕事的にはそう言う事があっても不思議じゃないんだろう。かく言う俺も、バイトがあれば今頃は忙しい時間だ。
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