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――嫌がられる事はしないのが一番っ。
そう。それが今の俺には一番大事な事だ。劉に嫌われたら凹むどころじゃ済まない。いやむしろ、今となっては俺に世話をしろと言ってくれた兄貴に感謝してもいい。
そしてこの時俺は、ちょうど今なら聞けるのではないかと思い至った。劉に、想い人が本当にいるのかどうかを。
「てか男の俺に…こんなことされても嬉しくないよね…」
姑息な手段だってのは分かってる。けどどうしても堂々と聞けない俺は、当たり障りがなく、なおかつ不自然じゃない質問から劉の本音を聞きださなければならない訳で。
案の定優しい劉は、微笑んでくれたけれど…。
「そんな事はない。慰めてくれたんだろう?」
「そうだけどさ…。でもやっぱ…こういうのって、好きな人にしてもらう方が良くない…?」
声が震えそうになるのを必死でこらえながらそう言えば、劉は僅かに考え込むようなそぶりを見せた。
――頼むからソコはそんな人居ないって言ってっ!!
自分で聞いておきながら内心で願望を叫ばずにいられない俺だ。いやだって…そこで『そうだな』とか言って嫌がられたら、俺が耐えられない。
「友人でも…肩を抱くくらいはするだろう?」
「あ…、そうだよね…うん」
「要。だからそんなに自分を卑下するものじゃない。謙遜は日本人の美徳かもしれないが、私には過ぎているように見える」
「あ…はい…」
まさかの説教に、俺は何も言い返す事も出来ずにただ俯いた。
――どうして好きな人がいるかどうか確かめようと思ったのに説教されてんの俺!?
と、そこまで考えて俺は、劉が中国人だという事実に気付く。そう、劉が言った通り、国が違えば考え方も違うのだ。
「お前はいつも自分が悪いと思い込む。私は、お前に癒されてるというのにな」
「えっ?」
「一生懸命世話を焼いてくれるお前に、癒されないはずがないだろう?」
「そっ、そう…?」
――ヤバい。今の俺絶対顔赤い。
そう分かるくらいに、心臓バクバクいってる。てか俺、声上ずってる。嬉しすぎて泣きそうになってる。
劉の気持ちが恋愛感情じゃなくっても、もういいかなって、この時俺は思った。だってそんなのなくたって、劉はこうして俺に優しくしてくれて、俺の事ちゃんと見てくれてる。それだけで良いんじゃないかなって。
けれど、そんな幸せな時間は長くは続かなかったんだ……。
「うん。ありがと、劉」
なんだか吹っ切れてしまった俺がそう言えば、劉は優しく微笑んでくれた。
そのあと少しだけ当たり障りのない話をして、テーブルを退けて布団を敷いたのだけれども…。
「え? 布団…一組しかないの…?」
「そのようだ」
「え? じゃあいつも兄貴とどうやって寝てんの…?」
「一緒に寝ているが?」
あっさりと事もなげに言った劉の言葉の意味を理解するのに数秒を要した俺は、思わず大声を上げていた。
「はぁっ!?」
いやまあ確かに押し入れにあった布団はダブルサイズで、俺のベッドよりも大きい。大きいけれど、それって兄貴の身長を考えたら当たり前で…。なんたってうちの兄貴は百九十三センチある。シングルどころかダブルでも足が出るんじゃないの? って、百七十二センチしか身長のない俺なんかには想像もできない訳だけれど。
つい今さっき、劉の気持ちがどうでもいいとは思った俺だけど、どうにも納得がいかない。っていうか、何でそんなあっさり兄貴と寝ちゃってんの劉…。
「え? 中国って男同士で一緒に寝るの普通なの…?」
「普通とは?」
「えっ、普通って…その、なんていうか…こっ、恋人とか…そういうのっ!?」
「勘違いしているようだから言っておくが、私と設楽はそういう関係ではない。ただ、寝所が一つしかないのでそれを共有しているというだけの話だが」
――それは分かってる! それくらいは俺だって分かってるんだよっ!!
「いやだからそうじゃなくって、だって布団買えばいいじゃん!? 友達同士でも同じ布団で寝るとかあんまないって言ってんのっ」
「それはそうだろうが、残念だが私は今買い物に出られない」
「あ、そっか…」
掌を上にして僅かに両手を上げてみせる劉に、俺の脳内は急速に冷えた。というか、それってむしろ兄貴のせいであって劉が悪いんじゃない。
「今は世話になっているが、私はずっとここに居る訳ではないからな。あまり物を増やすような事を申し出るのは控えていたんだが…」
劉の言葉に、俺は大事な事をすっかり忘れていた事に気付く。それは、劉がいつまでここに居るかだ。劉が言うように、別に劉はここに住んでる訳じゃないんだった。いつかは、居なくなる。
せめて連絡先くらいは聞いておきたいなぁ…なんて思ってた俺は、だが次の瞬間劉の言葉によって現実へと引き戻された。いやむしろ、引き戻されたどころか地獄に叩き落とされた。
「しかしそうだな…、お前がそんなに抵抗があるというのなら、一人で使ってくれて構わない。私はどこでも寝れる」
「いやいやいやいやっ! そうじゃなくって! いやそうなるのは分かるけどっ!」
「抵抗があるから言ったのだろう?」
「違…っ、そうじゃなくて!」
――あぁもう、何でこう俺って余計な事言うんだろ。いやでもこれは兄貴のせいだ!
怪訝そうな顔をする劉は、それでもあっさりと布団の横の畳の上にゴロリと横になってしまって俺は焦る。
劉の言う事は分からなくはない。それどころか痛いほどよく分かる。だって俺の言い方だと、きっと劉と一緒に寝るのが無理って言ってるようにとられかねない。けど俺はそうじゃない訳で。
どう言ったら伝わるのかも分からなくなって、俺は劉の腕を掴んだ。
「大丈夫だ。私の事は気にしなくていい」
「いやだからそうじゃないんだってば! びっくりしただけ! 嫌とかそうじゃなくって…っ」
劉なら大歓迎ですって、言えたらどれほど楽だろうとか思いつつ、でも逆にそんな事を言って引かれるのも怖くて俺は言えない。取り敢えず行動で示すしかなくて劉の腕をぐいぐいと引っ張ってはみるけれど、これがなかなか動いてくれない。それどころか背中を向けたままびくともしなかった。
「要。無理はしなくていいって言った筈だ」
「そうじゃないって言ってんのに…っ」
裏目にばかり出る自分の行動が嫌で、もはや泣きたくなってくる。
「ねえ劉っ、畳で寝るとかやめろよ…ホント、嫌で言ったんじゃないから…マジで…」
言い募ってるうちに本気で泣きそうになって、俺が鼻を啜った時だった。小さな溜息が聞こえて、劉がくるりと振り返る。その顔は、完全に困惑の色を浮かべてた。
「日本人というのは分からんな。そんなに、体面が大切か? 自分の嫌な事を我慢してまで取り繕いたいものなのか? しかも泣いてまで」
頭を、殴られた気がした。これ以上、何を言っても取り繕っているだけにしか劉には聞こえない。そう、分かったから。
違うって、言いたいけれど言ったところで信用されないだろう。もし、信用してもらいたいと思うのならば、最初から全部話して、俺の気持ちまで伝えなきゃならない。
泣きそうになってた涙なんて引っ込んだ。
悔しくて、悲しくて、切なくて、ムカついて、こんな気持ちになったのは初めての事だった。
でも劉の言ってる事が分からないほど子供じゃなくて。だからこそ本当に劉が好きならちゃんと誤解を解かないといけないって、頭では分かってる。分かってる…けど…。
――言えない…。
好きだから嫉妬しましたって言うのは簡単だ。きっと劉も分かってくれる。今この場の誤解は解くことが出来る。
――でも、その後は…?
きっと長い時間を過ごせば過ごすだけ、俺と劉の考え方とか、性格とか、色んな物の見方とか、感覚のズレみたいなものは出てくるはずで。それを『好きだから大丈夫』なんて安易な気持ちで考えたらいけないんだとそう思う。
だってこれは、ハッピーエンドが確定してるお話の世界じゃない。
「ごめん。本当に、そんなつもりじゃなかったけど…、たぶん今俺が何言っても劉には分かってもらえないと思う。劉が…言ってる事も、分かるから…。でもやっぱ、劉に体面が気になるかって言われても、劉の事そんな場所で寝かせたくないから…今日は帰るね。ちゃんと、布団で寝て」
ほんの少し前の、ぽかぽかした気持ちなんてどこにもなかった。
気持ちがあれば何でも乗り越えられるなんて綺麗事が言えるほど、俺は大人じゃないし、純粋でもない。
弱くて、卑怯で、姑息で、子供で、でも本気だって事だけは確かで。
劉が何も言ってくれないのは、呆れてるからなんだろうと思うけど、今はそう思われてもいいやって、俺は立ち上がって部屋を出た。
――鍵…、ちゃんと閉めるように言えばよかった…。
思ったところで再びドアを開ける勇気は俺にはなくて、大通りまで出たところで原付のエンジンをかけた。
◇ ◆ ◇
翌日。今日は一日中講義があって、それを兄貴に言えば家にいるから大丈夫だと返された。昨日帰った理由なんかを何も聞かれないところをみれば、劉が適当に取り繕ってくれたんだろうと思う。
午前中の講義を終えて構内の食堂で昼ご飯を食べていれば、後ろから肩を叩かれた。
「なんやエラい暗い顔してどしたん? 女にでもフラれたか?」
「間宮…」
バシバシとものすごい勢いで背中を叩いてくるこの男は、間宮祐樹(まみやゆうき)。どうしてもこの大学にいる教授の講義が聞きたいと、関西から上京してきたという変わり者だ。
「別に女になんて振られてないよ」
「したら何でそんなこの世の終わりみたいな顔してん」
そんなに暗い顔をしてるだろうかと思わず自分の顔を触る俺の隣に、間宮が腰を下ろす。
「悩みがあるなら聞くで?」
「悩みっていうか…、ちょっと考えたい事があるだけだし…」
「アホか。それを悩みっちゅうねん」
呆れたように言われてしまえばそれもそうかと納得するしかなくて。だからといってそう簡単に打ち明けられる内容じゃない俺としては、誤魔化すように間宮に笑ってみせる。
「誰かに相談しないと解決できないような悩みじゃないから大丈夫だよ。それよりお前、自分の就活の心配しろよ」
「うぐ…っ、要らん事言うなや」
がっくりとテーブルに突っ伏してしまった間宮に苦笑を漏らし、俺は食べ終えた食器を手に立ち上がった。これ以上、誰かと話していたい気分じゃない。
「食べ終わったから俺行くよ? 就活頑張れよ!」
ぽんぽんと背中を叩きながら言えば、奇妙な呻き声を上げながらも間宮が手を上げる。どうやら俺の気持ちを分かってくれたらしい。気にしてくれはするけれど、あまり突っ込み過ぎないところが間宮の良いところだ。
落ち着いたら間宮に飯でもおごろうと心に決めて、俺は食堂を後にした。
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