恋、しちゃいました。

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「ねえキミ、キミの名前を教えてくれる? 僕は、フレデリック《Frederic》。劉の…そう、知り合いかな」  クスクスと可笑しそうに笑いながら俺に向けられたのは、外人っぽい訛りも何もない日本語。どうやらこの男は、フレデリックという名前らしい。けど、向こうに名乗られたからって素直に答える気になれなくて、思い切り俺はフレデリックに不信感をあらわにして問いかける。 「何で…俺の名前なんて知りたがるんですか…?」 「劉が教えてくれないから」  そう言って、フレデリックって名乗った男はまた笑った。何が楽しいのか分からないし、劉はピクリとも動かないし、俺にはどうしたらいいのかも分からない。ただ、名前を教えろって言われても、素直に教えたくなるような雰囲気じゃない事だけは確かだ。  けど、そんな俺の考えは、あっという間に打ち砕かれた。 「劉が警戒してるから教えたくないんだね。設楽要クン?」 「何で…」 「残念だけど、僕はキミのお兄さんの事も知ってるし、お兄さんのファミリーのボスも、仲が良いんだよ?」 「嘘だ…」 「僕は、嘘は吐かないよ。ここにいる劉と違ってね。劉は、キミにたくさん隠し事をしてるって知ってるかい?」  そう言って首を傾げるフレデリックは、明らかに俺と劉を揶揄うみたいに見下ろしてて、正直腹が立つ。すげー偉そうで、馬鹿にされてる気分だ。 「そうですか。別に、劉が何を隠してても俺はどうでもいいです。それより嫌がってるんだから離してください。警察呼びますよ」  今まで経験したこともないくらい怖かったけど、同時に何だか引き下がりたくない気持ちも強くて。俺はフレデリックに見えるようにスマホを取り出した。  そしたらフレデリックはまたクスッて馬鹿にしたように笑って、あっという間に俺の手からスマホを奪ったんだ。 「返せっ!」 「そんなに怒ってないで、もう少し話をしようよ。せっかくだし、キミに劉の事をたくさん教えてあげる」  要らないと、そう言おうとした瞬間大きな手が首に伸びてきて、俺は逃げようと身を捩ったけど無駄だった。遠くに、俺の名前を呼ぶ劉の声が聞こえた気がするけど、返事をする事も出来ずに俺はそこで記憶を途切れさせた。   ◇   ◇   ◇  目を覚ますとそこは、俺の知らない場所だった。何かの事務所みたいな、それにしてはあまりにも物がない気がするけれど、事務机が二台向かい合わせに置かれているのと、まったく離れた場所にキャスター付きの椅子が放置されてる。  俺はと言えば応接用のソファの上らしく、ふかふかして居心地は悪くないけど、態勢がどうにもきつかった。動こうにも動けないその理由は、頭の後ろで固定された腕と、片足を折り曲げたまま縛られてるからだ。  ――なにこれ…。なんで俺縛られてんの!?  思い当たる節は、一つしかない。  劉と一緒に居た、フレデリックと名乗った金髪の男。  頭の後ろにある腕のせいで首が僅かに前に倒れたままで苦しいけれど、声を出せない訳じゃない。大声を出せば誰かが気付いてくれるんじゃないかと、俺が思い切り息を吸い込んだ時だった。まるで見ていたようなタイミングで正面のドアが開いて、見間違いようもない金髪の男が現れたのだ。  相変わらず楽しそうな笑みを浮かべた男は、その顔に見合った声を出した。 「叫ばなくても、僕はここにいるよ。それに、キミの大好きな劉も、ね」 「ッ…」  言いながらフレデリックがドアの奥から引きずり出したのは、腰の後ろで腕を縛られた劉だった。目隠しをされ、猿轡まで噛まされてる劉の肩が剥き出しにされてて、俺は一気にカッとなる。 「何やってんだお前ッ! 劉に何しやがった!?」 「それは、本人に聞けばいいんじゃないかな?」  俺の怒鳴り声なんて聞こえてもいないように、劉の躰をあっさりと突き飛ばしたフレデリックは、床にくずおれた劉の猿轡を片手で外した。 「ほら劉、どうしてこんな事になってるのか、ちゃんと教えてあげたらどうだい?」 「っぅ…、私は…どうでもいい…。頼むから…この子だけは…帰してやってくれないか…」 「駄目だよ劉? 僕はおねだりが聞きたいんじゃない」  そう言って劉のすぐそばにしゃがみ込んだフレデリックが、剥き出しにされた劉の肩をゆっくりと抱き寄せる。それだけで、劉がビクッて全身を強張らせるのが俺にも分かった。いったい、このフレデリックって男は何者なんだろうか。明らかに劉が怯えてる。 「ねえ劉、お利口なキミなら、僕の言ってる意味はわかるだろう? あの子に、どうしてキミがこんな姿にされてるのか、ちゃんと教えてあげないと。安心して帰ってもらうためにも、ね」  ゆるゆると首を振る劉が痛々しくてどうしようもない。  何かを考えるよりも先に、俺の口は勝手に動いてた。けど…。 「嫌がってんだろッ!! 劉から離れろよ!!」 「大丈夫だ…っ、要。私は…大丈夫だから…、これは…私が望んで…っ。……お前を巻き込んで…本当にすまない」  明らかに怯えてるのに、自分が望んでるなんて絶対嘘だって分かる。分かるのに、劉にそう言われてしまったら、俺は何も言えなくなった。殴る蹴るなんかより、もっと酷い暴行を、劉が受けてるのだけは確かで。  どうにか助けたいのに、俺は動く事もままならなくて、フレデリックを精一杯睨んだ。 「そんなに僕を睨まないでくれるかな? 僕は劉との約束を果たしてるだけで、何もキミを苛めている訳じゃない」 「何の…約束だよ…っ。こんな…っ、こんな酷い事…ッ」 「そうだね。酷いよねぇ…、ねえ劉? 酷いって言ってるけど、キミは、もっと酷い事をしましたって、あの子に教えてあげた?」  フレデリックが言葉を投げかける度に、劉は俯いて、小刻みに首を振る。言葉には出さなくても、それが『やめてくれ』って、そう言ってるのが分かって、だからこそ俺は、フレデリックが言ってる事が本当の事なんだって、そう気付いてしまった。でも。 「違う…劉には…きっと事情があって……、それで…そんな…お前とは…違…っ」  あまりにも、俺にはショックが大きすぎた。  俺には何がどうなってるのかなんてさっぱり分からなくて。でも劉だけは信じたくて。全部フレデリックの嘘だって、そう思いたくて…。 「そうだなぁ、劉がした事を、今ここで僕がしてあげようか? そしたら、彼もキミが何をしたのか理解してくれるよね」  今にも大声で笑いだしそうなほど楽しそうに言ったフレデリックに、悲痛な声をあげたのは劉だった。 「フレデリック…ッ!! お願いだっ、それだけはやめてくれッ! お願…ぃ、お願いします…っ、この子は…この子だけは…!」  後ろ手に縛られたままフレデリックの足元に蹲って懇願する劉は痛々しくて、俺は思わず目を背けてしまった。  ――何だよこれ…。なんでこんな事になってんの…?  人間信じられないものを目の当たりにすると、気が遠くなるっていうのは本当なんだって思った。すべてが別の世界…そう、夢の中の出来事みたいに思えて、現実味が薄れていく。  薄く張った膜の向こうで繰り広げられてる、言うなればこれは作り話。だからきっと、今俺の目の前で起こってる事は全部嘘だ。フレデリックの後ろから出てきた兄貴も…。  だってそうだろう? 兄貴ってば、なんか日本刀みたいの持ってる。そんなの、現実じゃ有り得ないじゃないか。いくらヤクザだからって、そんなのは映画の中だけだ。聞こえてくる言葉だってほら、台詞みたいな、そんな感じでさ…。 「そんな物騒なものを持って乗り込んでくるなんて、キミらしくないなぁ、設楽尊クン。辰巳が悲しむよ?」 「その辺で、勘弁してもらえませんか…」 「それは、どういう意味? 僕のものを、キミは横取りしたいのかな」  刀を向けられても平然としてるフレデリックと、刃物を向けてても余裕もない兄貴。兄貴はもの凄く苦しそうな顔をして、首を振った。 「……弟だけは、返しちゃくれませんか。他は自分の出る幕じゃない…」  ほらね。だって兄貴がそんなこと言うはずない。劉を見捨てるような事……絶対…。   ◇   ◇   ◇  何だか酷く嫌な夢を見て、そのままの気分で目を覚ましたら、すぐ目の前に兄貴がいた。どうやらずっと俺の顔を覗き込んでたらしい。 「兄貴…? あれ? 俺何で…」 「気が付いたか」  街中で劉を見つけて追いかけて、そしたらそう、フレデリックって金髪の男に会ったんだ。でも、その後の記憶が俺にはなかった。俺が思い出せる最後は、金髪の男に首を絞められたって事だけだ。死ななかったんだなんて安心する前に、俺は思わず兄貴に縋りついた。 「そうだっ! 劉は!? それにあの男!!」  ガバッと勢いよく起き上がろうとした俺を、兄貴は片手であっさり押さえつけると小さな息を吐いた。 「劉と一緒に居たのは…フレデリックって男だ」 「名前は…聞いた。誰なの? 兄貴の事も、兄貴のボスも知ってるって言ってた…」 「まあ、そうだな…」  何だか苦しそうな顔をする兄貴は、俺が初めて見るものだ。なんでそんなにつらそうな顔をしてるのか分からないけど、とにかく俺は劉が心配だった。 「ねえ劉は? 何で俺だけここにいんの? 劉とあのフレデリックって何なの? 一緒に居るんだろ? 知ってるなら居場所も分かるんだろ? 行こうよ兄貴!」  胸の上に乗ったままの兄貴の腕を掴んで言えば、僅かに首を振るのが見えて俺は頭にカッと血が上るのを自覚した。 「何でだよ!! 連れてってよ兄貴! 居場所分かってんだろ!?」 「要、よく聞け。あの男は…フレデリックは、俺やお前がどうこう出来る相手じゃないんだ…。見つかった以上は…どうにもならない…」 「何だよそれっ!! どうにもならないってどういう事!? 警察は!? 警察呼ぼうよ! だってこれ誘拐だろ!?」  フレデリックに取り上げられたスマートフォンは、ちゃんと俺の上着に戻されてた。ポケットを探って俺がスマホを取り出すと、今度は兄貴がその手を止める。 「やめておけ要。一時しのぎにもならない。もし、運よく警察があの男を捕まえたとしても、すぐに放される。それに、そんな事をすればそれこそあの男にとっては劉が邪魔になる…分かってくれ…」 「じゃあどうしろって言うんだよ!! このまま劉を放って置けって兄貴は言うのかよッ!!」  兄貴に怒鳴ったところでどうにもならない事くらいは分かってるけど、でも俺には兄貴しかいなくて。その兄貴が動いてくれなきゃどうしようもないって事実が、もの凄く俺は悔しかった。 「焦る気持ちは分かるが、少し落ち着け」 「ッ…」 「いいか要、絶対に警察には連絡するな」 「それって…兄貴がヤクザだから? 自分たちが捕まるのが嫌って事…?」  言っちゃいけないって、頭では分かってる。でも、それ以外考えられなくて俺がそう言えば、兄貴は困ったように笑った。 「俺が捕まって、劉が戻ってくるならいくらでも捕まってやるよ要」 「ッ……ごめん…」 「お前には想像もできないだろうが、大事にすれば間違いなくあの男はすべてをなかった事にする。俺たちが何を言おうが、証拠も何も残さずに事を終わらせる。俺たちとあの男は、住んでる世界が違う。頼むから聞きわけてくれ。打てる手は打つ。お前が下手に動かない限り、やれるだけの事はしてやるから」  そう言う兄貴の顔は難しそうで、俺には頷く他ない。 「信じていいの…? 劉の事、見捨てない? 兄貴のボスがあの男の味方でも、兄貴だけは劉の事助けてくれる?」 「若は…」  そう呟いたきり、兄貴は黙り込んだ。それが俺には不安で仕方ないっていうのに、だ。だって兄貴みたいなヤクザって、親分とかそんな偉い人が白って言ったら黒くても白になるって、何かで聞いた事がある。俺だって、それくらいの事は知ってる。 「やっぱ兄貴は信用できない…」  ぽつりと、零した俺の本音。
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