1

1/9
2人が本棚に入れています
本棚に追加
/24ページ

1

 右手に持った黒色で、鮮やかな赤色を目の前の壁に塗り広げる。  ふんふん、ふーん。  知らず鼻歌が洩れた。曲名は何だっただろうか。街中のBGMや車のラジオなんかでよく聞く曲だ。  ふふん、ふふふん。  背後から足音が聞こえる。気付いて尚振り向かないのは、その音がひどく聞き覚えのある特徴を有しているから。コツン、と踵を落としたら、爪先は静かに地面に付ける。顔に似合わず繊細な足の運び。訓練を受けた人間のそれではなく、重心が僅かに右に傾いている。彼の四メートルほど左斜め後方で、その音は止んだ。 「そいつは」 「名前は高杉さと美、本名サンドラ・タルノフ。ロシアから密入国した売人です。拳銃に始まって、クスリやら人間やら色々売り捌いてたみたいですね」  短く問うた男の方を顧みることなく、彼は答える。何が楽しいのか、乾いた笑みを浮かべて、元は白かった壁を着実に赤へと変えていく。 「なぜ殺した」  言われて、彼は動きを止める。目線を落とした先には壁にもたれ掛かる女。目は見開かれ、しかしもう何も写すことがない。そしてその左胸は、真っ赤に染まっている。そこから広がった赤が、女の背景を彩っていた。 「んー、なんとなく?」     
/24ページ

最初のコメントを投稿しよう!