針とココア

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そう思い至れば、ぬらりとした炎をまとった針が、喉にするりと入り込んでくるような気がした。 何故、約束を破ったりん子ではなく、俺の方が針を飲まされているような気になる? いーちゃんと結婚すると涙声で言われる度、新しい恋人との写真をはにかみながら見せられる度、縫い針を一本一本飲まされている気がするのはどうしてなのか?あまりに理不尽な物言いを無邪気にするものだから、価値観が狂わされている気にもなってくる。 「そうしたらさあ、いーちゃんがウエディングドレス作ってよ。絶対素敵だよお」 へらへらと、泣き腫らした顔でまた俺に針を飲ませる。そんな未来など、一片たりとも望んでいない癖に。 「……、それより顔洗ってきな。すごいブスだぞ」 逃げるように悪態をつく。 「ちょっと!優しくしてよ!女の子が泣いてるんですけど」 「はいはい」 意識していないのかと思えば、半端に男扱いする。いや、女の子の自分を振りかざしているのか。クソみたいな女だな、という客観的な感想が頭に浮かぶが、惚れた弱みがそれに静かにふたをした。女の子。俺の好む衣服を何の疑問もなく、また中傷もなく、当然のように着ることができる存在。りん子は俺の憧れるものをすべて持っている。 トイレ貸して、とりん子は返事を待つでもなく、鞄から出した大きなポーチを持って立ち上がる。重そうなスカートが扉に挟まれないよう気をつかう様子を、特に文句を言うでもなく見送ると、何か飲み物でも出してやろうと俺も立ち上がる。ココアでいいだろう。 玄関の方に三歩ほど移動すれば、もう台所だ。狭い流し台に一口だけのコンロと、必要最低限だが、料理に大した興味のない俺には充分だ。そばに置いた棚からマグカップを二つ取り出す。肩まで伸ばした髪を耳にかけてから、ココアを入れる。温めた牛乳に粉を混ぜるだけの作業。 どうしてココアの粉はこんなにも溶けにくいのだろう。小さな飾りのついたティースプーンは可愛らしい見かけにつられて買ってしまったが、ココアの粉を溶かすには向かない。ぐるぐると、甲斐のない回転が続く。 例えば、俺が女装なんか好きじゃない普通の男であったらどうだったろうか。りん子は、こちらを向いてくれたろうか。
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