Ⅱ リッカ

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「リッカ、最近ヤバイんだって?」 「別に……誰に聞いた」 「出どころ確かめるとかマジっぽい。厄島と付き合ってる子だよー」  厄島はオレたちの、いやタチアオイの元事務所に所属するバンドのギタリストだ。なぜかオレを敵視していたらしく、何かと突っかかってこられていたから顔を憶えている。 「てか、それがなくても『タチアオイ』、いきなり活動休止とかどうしちゃったわけ? まじショックだったんだけど」 「仕事関係の質問には答えねえよ」  くだらない話してないでこっち、と強引に引き寄せると、簡単に柔らかい身体が倒れこんできた。 「個人的なことならもっと嫌がるくせに。ケチ」  甘ったるい匂いが鼻につく。おざなりに抱き合い、向こうが目を覚ます前に勝手にホテルを出た。別に寝たかったわけではない。女が原因でこんな事態に陥ったのだから反省していないわけでもない。  ただ、何もかもがどうでもよかった。昔ハチと付き合っていた女だから、トラブルが起きたとしても大したことはないだろう。朝から強烈な日差しが射してきて、夏の蒸し暑さもあいまって、オレの脳味噌をぐらぐらと揺らした。  いきなり解散、と決まったわけではなかったが、タチアオイは空中分解したも同然だった。  ライブも、音源も、それどころか小さなイベントすら先の予定は立っていない。しかし根本的な問題はそこではなく、オレがまったく曲を作れなくなっていたことだった。  その事実に気づいたときは、殺される、と思ったあの瞬間以上に頭の中が真っ白になった。自分が空白で埋め尽くされてしまったかのようだった。  メロディも、歌詞の一節も何も出てこない。画用紙はあるのに、鉛筆も絵の具も持たせてもらえず、しかもその概念すら持っていなかったから「何かが足りない」とすら訴えられない。そんな感覚だった。
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