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実情はもちろん、口癖になるのも当然なくらい厳しいものだった。タチアオイが軌道に乗るまでの間に、貯金は見るも無残に目減りしている。名前が売れ始めてからも、入る金はやれ生活費だスタジオ代だと消えていくので、貯蓄に回す余裕などあるわけがなかった。
そして今は、無職。最後の砦のシゲもおらず、そのうえジャコまで養っている。
「えり好みしてられる身分じゃねえってことだな……」
オレはようやく、生まれて初めてのバイト生活に身を投じる決意を固めた。
「リッカ、どこいくの。おれも行く」
「仕事だよ。ついてきちゃいけないやつだ。夜には帰ってくっから」
「……わかった」
最初に選んだのは、給料がその日のうちに手渡しでもらえる日雇いの会社だった。
初日の朝集合場所に向かうと、他にも数人の若い男が来ている。スーツを支給され、A3サイズの看板を持って指定された道路脇に立つよう指示された。
「正気かよ」
連日、うだるような暑さなのだ。想像通り、ただ着替えただけで全身が蒸し風呂状態になった。
「これ、マジっすかね」
同じく死にそうな顔をした若者に話しかけられた。オレは今日コイツとペアを組み、二時間おきに炎天下に繰り出さねばならない。
「死ぬだろ、普通に」
「信じられないっすね」
財布の中身が千円にも満たない状況でさえなければ、間違いなく途中で投げ出し、いや逃げ出していただろう。
近くの会館で行われるイベントの看板を持っていたのだが、案内をするどころか関心すら示してもらえない。一人が無表情で通り過ぎるたび、自分の存在意義が一つずつ失われていく気がする。そのくせ、興味本位のような声はやたらと掛けられる。
「この暑いのにスーツ? 大変だねえ」
「うっわー。あんなバイト、オレなら死んでもやんねーわ」
暑さもあいまって、苛立ちばかりがつのった。
「だなー。まだ座ってカチカチやってるやつのほうがましだわ」
「あ、交通量調査だろ? やったことあるぜ、俺」
耳障りな声ほどよく響く。
一日が終わり、渡された封筒の中身を確認したときには、嬉しさよりも虚しさがこみ上げた。あれほど無意味に一日を費やして、これか。
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