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「ジャコ」
少しかすれたあまい声で、歌うように呼ばれる。おれはリッカの顔をちらりと見やり、ふいと逸らした。くすりと笑われる気配を感じて、床にごろりと寝転がる。
おれを拾った男、リッカは、元気になったおれに「ジャコ」と名前を付けた。理由は知らない。大方昨日の夕飯に出てきた、とかそんなものだろう。リッカはそういう人間だ。
もちろん元々呼ばれていた名前はあったが、もう帰ることなどない家だ。おれはあっさりもとの名前を忘れた。ジャコ、と呼ばれるとうまそうな響きに、腹の虫が鳴き出すのだけが今の悩みだった。
リッカとシゲの二人暮らしの家におれは居着いた。ボロいアパートの一階で、以前暮らしていたマンションとは何もかもが違う。
「リッカ! 何してんだよ」
「ん? ジャコの玄関」
掃き出し窓の前で大胆にハサミを握るリッカに、シゲが苛立っていた。
「大家に怒られるだろ。敷金返らなくても知らねえ……っつーか、虫入ってくるだろーが!」
「ヘーキヘーキ」
「ふざけんな」
意にも介さず、リッカはジャキジャキと網戸にハサミを入れた。せっかく作ってくれたのなら、たまには外に出てやろう、と心に決める。あてのない放浪は辛いものだったが、帰る場所があるなら、そんなに悪くもないかもしれない。
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