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目を覚ましたときはひどくぼんやりとしていた。
記憶も意識も何もかもが定まらない。少し寒かった。雨が降っていたのだ。
おれは一人、膝をかかえてうずくまっていた。あまりにぼんやりしているせいで、顔を上げることすら怖かった。腕の隙間からは転がる空き缶が見え、冷たい雨とあいまって、あの日の側溝を思い出させた。しかし、あの日、というのがいったいいつのことなのか分からなかった。
身体のどこも痛いと感じなかったけれど、心のほうはどこか空っぽだった。自分の存在すらおぼつかないのに、何か大切なことを忘れている気がするのだ。
膝をかかえたまま、それが何なのか思い出そうとする。キン、と頭が重くなった。
そう、重いのだ。頭だけではない。身体全体が扱いきれないくらい大きなものに感じられた。理由はわからない。降りしきる雨が服にしみこむ、その雨の重さのせいかもしれない、とも思った。
「おい」
とつぜん声が聞こえた。
「お前……死ぬぞ。家に帰れ」
聞こえたその声は鮮やかだった。不明瞭な意識の差し色になるような……おれはようやく、ゆっくりと顔を上げた。
雨の降る灰色の世界。灰色の道路、建物、街路樹、空。見上げたそこに「彼」がいた。
「いえ」
家というのが帰る場所というのはわかる。しかし自分にとってのその場所は、ぬるま湯を漂う石鹸の泡みたいにとらえどころがなくて、まったく思い描くことができなかった。
「家、わかんない」
「なんだそりゃ。警察呼ぶか」
「ケーサツは嫌だ」
眉をしかめた。ケーサツ、なら知っている。昔、おれを暖かな暮らしから追い出したやつらだ。
冷たくなって、すりよっても返事をしてくれなくなったおばあさん。彼らはそこにドタバタと踏み込んできて、おばあさんを連れ去って……ああ、これはいったいいつの記憶なんだろう。
「名前は」
わからない、沈黙。
「年は」
それもわからない。男は眉をしかめてオレを見た。
そうすると、すごみが増して、絶対に逆らえないという気分になる。しかしそれが嫌ではなかった。心地よいとすら思った。
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