第1章

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 けれども、イルカが見えるうちはまだ幸せだ。何も見えない海は寂しい。僕はエイズが発症して死んだデレク・ジャーマンが、晩年に製作した『ブルー』という映画を思い出していた。スクリーンには青い色しか映し出されず、ジャーマンのモノローグが延々と続く。そこで彼はエイズと共存していこう、という世間の運動を糾(きゆう)弾(だん)する。そんな生易しいものではないのだと。孤独があるのだ、その深い青には。それが象徴するのは大空の虚無か、はたまた母なるものとして、そして難破した者を飲み込む深淵としての海か。  とにかく僕が目にしたのは青だった。他に何も見えない静寂。時折どこから湧いてくるのか、ぷくぷくと泡が昇ってきた。どこまでも深く、そして底無しの世界。  お昼の時間になった。ミスパパヤ号からモーターボートに乗り移り、膝まで海水に浸かりながら、聟島の海岸に上陸した。ここは戦前には入植者がいたが、戦争末期に強制疎開させられてから、アメリカによる統治時代を経て日本に返還されても、無人島のままになっている。  草むらの中にはただ一つ、開拓者の墓が残されていた。もはや親族が詣でることもまれなのだろう。この島を観光で訪れる若者が、ジュースの缶をいくつもお供(そな)えしていた。  戦前に牧場があったとはいえ、この島には実に高木が少ない。というのも、人間に置き去りにされたヤギが野生化し、島の草木を食い尽くしてしまったからだ。海岸近くに蜘蛛(くも)の糸のような花を咲かせるスパイダーリリーと、枝に毒を持つという夾(きよう)竹(ちく)桃(とう)が、かろうじてヤギの貪欲な胃袋の犠牲にならずにいた。  海岸から頂上の大山までは三十分足らず。そこには戦時中の日本軍の施設が、礎石のみを亜熱帯のまばゆい光にさらしていた。小笠原諸島の最北端、北ノ島から針ノ岩までがすっぽり、この地点を中心とした巨大な水盤の中に収まってしまう。十頭近くのヤギたちがメーメー鳴きながら、しばらく遠目でこちらの様子をうかがっていた。その他には島にはただ潮騒と風の音しかない。  ミスパパヤ号に乗って、媒島の周辺でも、またシュノーケリングをした。これからサンゴを見るという説明を受けた。正面の岩場の海中まで行き、それから左方にいる船まで戻るとなると、十五分近く泳がなければならない。気が遠くなりそうになった。
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