第1章

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 嫁島の海で貴重な体験をした後、帰路でも多くのイルカと出会えた。あとはひたすら猛スピードで、波を切って父島を目指した。泡立つしぶきを眺めながら、今日の出会いの数々を反(はん)芻(すう)していた。夕日が水平線を照らしている。一日の終わりが近づいてきた。  二見港に接岸すると、あっけなく解散となった。ミスパパヤ号に別れを告げ、港の周辺を歩いていると、辛子の効いた寿司が食べたくなった。今晩も泊まる船室には、大学一年生がいるのを思い出した。島寿司とビールをごちそうしよう。現在とは違って、高校を卒業すれば、酒も煙草も普通にやっていた。それだけおおらかな時代だった。  ビールを飲みながら、今日の出来事などを語った。彼は広島に実家があり、川崎市内の大学に通っているとのこと。境浦の濱江丸の周りで潜ってみたそうだ。僕は前日のシーカヤックでの体験を思い出した。彼は疲れていたらしく、ほどなく眠ってしまった。  目にした光景を記憶にとどめようと、日記をつけ続けていた。消灯は午後十一時だった。ベッドに横になる。この船室とも明日の朝にはバイバイだ。またあの三等船室でごろ寝と思うとぞっとした。  マイクロバスで島内巡り  朝になった。昨日と比べれば雲が多い。食事を終えると、マイクロバスで島内巡りをすることにした。運転はおじいさんで、乗客は十名足らずである。乗り込んで最初に訪れたのは、父島の北西部、三日月山の手前にある展望台、ウェザーステーションだった。  ここからは右に兄島、それと重なるように弟島が見える。目を南方に転じれば、彼方に母島もかすんでいる。ホエール・ウォッチングが行われる海域である。兄島にも戦前は人が住んでいたが、現在一般人が住むのは父島と母島だけである。  兄島瀬戸が眺められる長崎展望台に移動した。この海峡はとりわけ大潮のときに、川のように流れて渦が逆巻く。対岸の兄島では、野生化したヤギが群れていた。父島では農作物を荒らす害獣として、ほとんど駆除されてしまったというが。若き日のブッシュ元大統領、もちろん、親父の方であるが、兄島瀬戸の東端で、乗っていた戦闘機を日本軍に撃墜され、からくも生還することができたと言われている。
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