第1章

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 なだらかな島影がすっかり消え去るまで、僕は甲板に立ち尽くしていた。小笠原との別れ、もしかすると、二度と訪れることのない別れなのだから。これから数百キロ、島らしきものはない。  船の中ほどに立っていた僕は、丸い水盤の中央に位置している。黒潮と言われる濃い藍色が、うねりながらどこまでも続いている。真夏の光に堪えて、空を見回していくと、水平線との接点も円をなしている。キリストは何もない砂漠で神の声を聞いたという。僕の耳にはポセイドンの歌が伝わってくる……。  朝の海。黒潮は悠(ゆう)々(ゆう)と流れる大河のようだ。ゆるやかに見えても、流れる量は膨大で力強い。背後から夏の太陽を浴びて、甲板に立つ僕の影は泡立つ潮の上に映っている。僕自身は船と同じスピードで動いているのに、海上のドッペルゲンガーは、じっと海上の一点にとどまっているように見える。  やがて遠方に潮目が現れた。それを境にして、黒潮の動きはほとんど止まってしまう。そして再び、潮目。海が息をしているのだろう。海の中には僕らの知らない地図があって、そこを濃い藍色の大河が流れているのだ。海面にカモメが弧を描いて舞っている。魚が集まっているんだろう。  小笠原での体験を胸に抱きながら、まだ若かった自分は、甲板でノートに青くさい言葉を書き連ねていた。 「これからの僕は、世界という書物を読んでいくんだ。無限に見えるページの中から、読むべき文を見(み)出(いだ)していくのは自分自身だ」と。  リュック・ベッソン の『グラン・ブルー』("Le Grand Bleu" de Luc Besson)  海の自然を描いた映像詩『アトランティス』"Atlantis"で知られるフランスの映画監督、リュック・ベッソンが、素潜りする青年の夢と死を描いた作品である。いずれも音楽を担当しているのは、フランスの作曲家エリック・セラ Eric Serraである。ベッソンの映像美は、セラの音楽と一体となって生命を得た。
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