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ベッソンの『グラン・ブルー』は、ダイバーのジャック・マイヨール Jacques Mayolがモデルになったとされる。親日家で日本に別荘もあり、イルカの集まる御蔵島の海に潜っていた。生前の充実した素顔は、日本のテレビでも放映されたが、晩年は鬱病に悩み、イタリア・エルバ島の自宅で自殺した。テーブルの上には『グラン・ブルー』のビデオが置かれていたという。マイヨールは映画の神話的なイメージを思い描きつつ、作品の主人公のように死を選んだのだろうか。体験を脚色した映像詩が、モデルとなった本人の最期をも決定づけたわけで、フィクションと現実の深いつながりに、呆然としたのを覚えている。
マイヨールが自殺したのは、二〇〇一年の十二月だった。僕がベッソンの『グラン・ブルー』や『アトランティス』に憧れて小笠原を旅したのは、一九九八年八月のことである。詩を書き続けた父が闘病の末に死んだ翌年だった。ベッソンの映像美に近い光景を目にした体験は、後に『君がまだ見ぬOgasawara』と題したエッセイにまとめた。それはともかくとして、ベッソンの『グラン・ブルー』の世界を見ていこう。
主人公はモデルのマイヨールと同じく、ジャックという名の青年である。ライバルのエンゾと素潜りの競争をしている。エンゾは無謀な挑戦をして命を落とす。息を引き取る前に、エンゾは自分の体を海に沈めてくれと頼む。そこはダイバーにとっての楽園であり、人魚が愛を確かめに来るとされる場所だからだ。愛が認められたとき、人間は地上に戻る理由がなくなる。遺言通り、ジャックは泣きながら、エンゾの体を深海へ運んでいく。
危うくジャックまでが死にかける。一命は取り留めたものの、海からの呼び声には逆らえず、恋人のジョアンナが止めるのも聞かず、夜の海にボートを走らせる。ジョアンナが妊娠していることを告げても、ジャックの決意は揺るがない。
体の不調を押して潜水しようとするジャックに、ジョアンナは「行って、私の愛を確かめて」と告げる。ジョアンナは楽園にいるという人魚を、自分自身と重ね合わせているのである。
ジャックは潜っていく。海底には一頭のイルカがいる。機器から離れて手を差し伸べ、イルカを抱きに行く。それこそダイバーにとっての人魚であり、もはや地上に戻る理由はなくなる……。
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